「けんじろう」さんは正しい。

私はこのたび初めて「けんじろう」さんという方を知ってその方の娘さんが裏サイトで攻撃された件の顛末を
最後まで読ませていただいたが、これについた一部ブクマコメントのひどさにあきれた。
正直、父親のしたことが「痛い」的な匂わせ方をしている人はつまり「こんな父親の娘、かっこ笑い」と書いているのと同様だ、
裏サイトに「実名」で相手をあげて、くだらない悪口を「匿名」で書いている子供とほとんど感覚が変わらない。
「けんじろう」氏のような人を「マッチョ」と呼んで揶揄するならそれをする何人かの人間はなんと呼ぶべきなのか、
「ウインプ」?くだらない、否定コメントをする人にこの行動の意味がわかる人間は全くいない。
けんじろうさんの起こした行動はお嬢さんの「将来」を見越してのことだと私は思っている。
お嬢さんがそれほど不愉快に思っていなくても、この奇妙な「実名」での攻撃記録は管理者が消さない限り残る。
どのような内容の悪口だったかは私は想像しないが、世間というのは恐ろしいもので、
いつ、いかなることで、このくだらない悪口が利用されるかわかったものではない。
「こんなものがありましたー!」と大喜びで漁る人間は「今」いなくても「将来」いるかもしれない、
巧妙に「過去、彼女はこのような悪口を「裏サイト」に書かれていました、かっこ笑い」的な用いられ方をするおそれは
全くないとは言えないだろう。
その時、父親が見逃さずこのような対応をとった、と言うことでお嬢さんの「名誉」は未来に渡っても「守られ」ているのだ。
もちろん管理者は父親の書き込みを消すことは出来る、しかしそれをすればけんじろうさんが黙ってはいないだろう、
このことは管理者にもわかっているはずで、悪口を消さずに父親のコメントのみを削除すれば悪口を書き込んだのは
管理者本人、と言うことになる、管理者は削除したくても出来ないだろう。
これは「匿名」の人間に対する「強者」の「脅し」ではない、これが正当な「防衛」なのだ、実にこのお父さんは聡明だ。
我慢しようとするお嬢さんの鷹揚さを受け止め、そのまだ幼いやさしさに、ある意味、「負けて」あげながら見守っている、
これを「包容力」というのだ、このような父親を持つ娘はそう多くはいない、
いつかお嬢さんは、お父様がしてくれたことの本当の意味を見出すだろう。
悲しいけれど、世界は全く醜悪だ、無視すればいいことだけでは出来ていない、
弱者であるということで、人を引きずり下ろそうとする人間が山のように存在する。
「無視すればいい」のお嬢さんのやさしさにつけ込んでどこまでも傷つけようと追ってくる執拗な人間もいるだろう。
でもそれにきっとお嬢さんは負けない、お父さんがあのときこうしてくれた、それを必ず思い出す。
この件は父親から娘への将来にわたる最大の「贈り物」だ。
とりあえず「今」は「娘に見えなければいい」と書かれているが、それは娘さんが受験生だったその「当時」のこと、
深追いをしなかったことはけんじろうさんの自制心、的確な判断で私は素晴らしいと思う。
書かれた「全て」を消すことは出来ない、でも一番ヒットの多い(と、思われる)ところは「おさえた」、
これで書かれたことが完全な「誹謗中傷」で、将来、「まとも」な人間に「ひょっとして、、?」と考えられることはないだろう。
親が子供を完璧に守ることは無理だ、それは親ならば誰でもがわかっている、それでも出来る限りのことはしてやりたい、
時に「モンスターペアレント」と、子供になんの責任も負うことのない赤の他人からおもしろ半分に言われる可能性を知りながら、
それでもしなければいけないことがある、「親」として。
どのような「親」に「見られるか」よりも、どのような「親」で「あるべきか」を完全に理解し、行動を選び取れる親は「まれ」だ。
けんじろうさん自身も例外ではない、でも彼はそれを知っている人だ、だから小さな「失敗」を起こすことがあっても取り戻せる。
「お父さん、やり過ぎ」のようなコメントを見ていて、私は心底腹が立った、
子供に何かことがあれば「親は何をしていた!」と大声でわめき立てるくせに、現実的に子供を「守ろう」とすると
すぐ「痛い」だの「子供に構い過ぎ」だの、どれほど無関係な「外野」からはやし立てられることか。
こんなにも親子関係が「監視されている」時代って今まであったんだろうか?
長くなってまとまりがなくなった、このあたりにしておこう。
この件についた、一部、斜に構えたブクマコメントを見て
「あなたは「強者」ですね、「わかります」、私たちはかわいそうな人間なんです、、」とでも言うような、
どれほどその「かわいそう」で一見「幸せ」に見える人間を攻撃してくることか、と不愉快になった。
私は「幸せそう」に見えている人で「努力」をしていない人を見たことがない、幸せとは努力しないで手に入るものではない。
目に見えて「幸せ」な人間のしたことを「痛い」行為であるかのように受け止める人間は
人にねたまれるほどの幸せをつかむために死にものぐるいで努力「し続けた」ことがあるだろうか。
やさしく、その年齢なりにしっかりした考え方を持つお嬢さんを育てるのは並大抵の努力ではなしえない、
迷走しながらも確実な判断を下す人を否定しようとする人間を私は軽蔑する。
それからもう一言。
「お父さんの子育てを笑うな!」
この言葉は私自身のために、忘れないように書いておく。
まだまだ「子供の教育」は「母親の世界」だ、何かと父親が「邪険」に扱われる、
私も例外ではない。(「父ちゃん黙ってろ!」と思うことはよくある)
それも覚えておこうと思った。
なんにしても成功者とは紛れもなく聡明である、とはっきりと知った話だった。