ニュース、あれこれ。

「吉兆」のニュースは何でか今朝のNHKニュースでもやってて、これはそんなに大きなニュースなのか?
たいていの人間は「吉兆」なんて行かないんで、何をやっていようがあんまり関係ない気もするが。
昔、仕事をしていたとき、料理屋の手をつけていない食事にたばこの灰を落とすおっさんがいて
お行儀の悪い人だなあ、と見ていたら、「こうせんとあかんのや」と言われたことがあった。
学生時代、ホテルでアルバイトをしていた頃、厨房で、出した料理が全く手をつけられず、その食材が珍しいものだったとき、
料理長が若手を集めて味見をさせてたことがしょっちゅうあった。
お運びアルバイトだった私にも「まかない」と言って、
(多分)手をつけていない手長エビのフライをつけてくれたこともあったな、ホテルのバイトは食事がよすぎて太った。
「吉兆」が責められるのは当然だ、客は対価を払ってるんだから、ちゃんとしたものを出すべきで
「もったいない」なら従業員の中で何とかするのが「すじ」だろう、
この場合「もったいない」の言葉一つでまるで残す客が悪いかのように責任転嫁している点が、また「姑息」だ。
なんにしても、その名前が一般化したとき味は確実に落ちるんで、もうデパートに出店、とか通販で売り出す、になったような店は
もう駄目だ、と考えていいと思う。本当においしい店はめったに雑誌になんて載らない、載せない、人もなかなか教えてくれない。
こつこつ自腹で探せ、と言うことです。接待店が悪さしたと言ってもそれほど多くの被害はなかったような。
人気の「発狂小町」でカレー嫌いの話が出ていて、私もカレー嫌い、子供時代、何かと言えばやたらと出てくる「カレー」に
いつもうんざりした。ごく最近、インドのカレーを口にして、それは好き、同じような人はいるもんだ。
最近のニュースで、高校に入学したばかりの女生徒が殺されてしまったことには衝撃を受けた。
うちの子と同じ生活だ、自転車で帰ってくる、部活があれば遅くなる、
入学式も終わってやっと生活が軌道に乗り始めたところで子供のお葬式を出さなければならなくなるなんて
私はもう立ち上がれなくなりそうだ、ご両親のことを思うと本当にお気の毒でならない。
ネットで、この被害者と、沖縄の少女の事件の被害者への一般の対応の違いを指摘しているところを見かけて、
私も同じことを考えてしまったなあ、沖縄の少女の事件では同じ年頃の被害者を叩く人が随分多かった。
一緒にするな、と言われるだろうが、これってつまり被害者が死んでいるか、生きているか、の違いで
つまり「生きている」被害者には「何もする気がない」、「死んでいる」被害者なら「何もする必要がない」ので
心を込めて「カワイソー」といえるわけでしょう、「生きている被害者」は「目障り」、そういう感覚。
死んでいる人に向かってはいくらでも「カワイソー、カワイソー」で自分は「いい人」でいられる、
生きている被害者に何もする気がないので「カワイソー」すら言いたくないってことだろうな。
事件は空しい、入学したばかりの子供を失った親の気持ちは他人にわかるものじゃない、
私も今日も心配しながら見送った、
毎日、家族が無事に帰ってこられることは何よりもの幸せだ、とどこかで後ろめたく思う。
事件の犯人を早く捕まえて欲しい。(あー、つい「死刑にしろ!」とか言っちゃいそうだ、、、)