だらだら。

昨日、片付けものをしていてふと、もう、うちの子がランドセルを背負ってかえってくることはないんだ、と気がついた。
もう、家には小学生はいないんだな、と当たり前のことをやっと理解して、こみ上げてくるものが、、、
少し余裕が出来たんだなあ、卒業式2回、入学式2回、その他色々、ばたばたしていて感慨にふける間もなかった、
多少はあったけど、しみじみと、じっくりと、子供が大きくなったことがどういうことかあまりわかっていなかった。
何年も前、上の子が小学校、下の子が幼稚園に通い始めたときも、この季節に家にもう赤ちゃんがいないことに気がついた。
以前知り合いの母親が介護に明け暮れてようやく最後の1人を見送ったその翌日から重い鬱病にかかって
そのあと5年間も起き上がれなくなった話を聞いて、私は何故そんなことになったのか、時々考えていて、
昨年、伯父が亡くなった時、「幸せな時間」が終わってしまったことに気がついて耐えられなかったのかも、と思った。
毎日、伯父の元に通う母を私は送り迎えをしていて、伯父が思ったよりも早く、まるで唐突であるかのごとく亡くなったとき、
私は車の用意をしていて、毎日通うことは幸せだった、大変であっても幸せだった、母がそうであると同じくらい私もそうだった、とわかった。
切実に他人に必要とされる時間は幸せなのだ、それを失うことは自分を失うに等しいほど悲しい。
赤ん坊が家にいる時間、ランドセルを背負った子供がいる時間、段階的に必要とされる労力は変わってくる。
その切り替えの時期には、なんの時間が終わってしまったのか実感するには、私の場合、忙しすぎる。
3歳離れた子供達、と言うのは考え物だな、
さて、「子供が離れてかわいそうな私」のために「自己憐憫」の涙でも流そうか、と思ったけれど、流れない。「ドライアイ」か?
と言うか、もっと大昔、大学に入った5月、乗っていたバスから街路樹の若葉が見えて、
突然、私は制服を着て高校に通うことは二度とないのだ、とはっきりわかったときも、涙は流れなかった。
当然高校の卒業式でも泣いていない、私はいつも別の次のことを考えている。
これは弱い人間だからそうしないではいられない、自己防御作用だろう、と学生時代から思っている、
私はそこからほとんど成長していない。その時間、その瞬間が何を意味するのか、そこで理解できればいいのに、
そう、ずっと思っているのだけれどなかなかうまくいかないねえ。
なんにしても軽い5月病、疲れると悲しくなる、ランドセル姿の子供達は本当に可愛かった、実に楽しい時間だった、
人を1人育てるのだから育児は確かに大変だけれど、必要とされるのは幸せな時間だ、終わると悲しい。
で、また次に何をしようか、と考えている。
生きているというのは死ぬのを待っている時間だ、待っている間に何が出来るか、も生きている時間だ、
それはおじさんが亡くなった昨年の夏、考えた。
とりあえず、明日からお休みです。お出かけです。