この夏。

今年の夏祭りも娘たちに浴衣を着付けて、それぞれのお友達との待ち合わせ場所まで送った。
うちの地区ではお祭りに、ほとんどの女の子が浴衣を着る。それはそれは、華やかなものだ。
でも、浴衣をもっていなかったり、着付ける人がいなかったりして、浴衣姿をうらやましそうに見ている女の子が少数いて、
待ち合わせ場所でそんな女の子を見かけると、心が痛む。働く母をもっていたかつての私の姿だなあ、と、
私も、子供の頃、他の「普通」の女の子たちがもっているもの、やっていることが出来ない女の子だった。
それを「して欲しい」とも、母に言えない女の子だった。して欲しくても、できないかもしれないことを母にいうのが辛かった。
保守的な地方で働く母は「働かされているかわいそうな人」と周囲から見られていて、
母はその痛みを抱えながら、私たち3人兄弟のために働いてくれて、わたしは育ててくれている祖母からそのことを繰り返し聞かされていた。
祖母もまた、早くに夫を亡くし、女手一つで父を働いて育てた人だった。
私はいつも、恥ずかしそうに浴衣から目を背ける女の子に、もう少し大人になったら、自分で浴衣なんか買えるし、着付けたりも出来るからね、
と声をかけたくなる。子供でいるのは辛いね、だから大人になるのは楽しいことだよ、
私は、欲しいものをほとんど全て、大人になって手に入れて、今は子どもに私がして欲しかったことをしてあげられている、
そんなことを、私たち大人は、勉強より、子どもに教えてあげないといけないな。
当然のように浴衣を買ってもらって、着せてもらえる娘たちに、その子たちの痛みが見えるかどうか、
「みんなで浴衣」にはしゃいでいる子どもたちに水を差したくなくて、いつも話し忘れる、いつか、話しておこうと思うのだけれど。
今年の夏、母と子どもと海にいった。
列車の中で、母と下の子をデジカメで撮って、帰ってプリントアウトすると、母が驚くほど幸せそうに笑っていて、
こんな表情を私が子供の頃に母は見せたことがなかった。
母は怒っていることが多くて、それは私たち子どもに、あれこれ出来ない自分のもどかしさが、情けないほど表情に出て
その悲しみが私たち子どもへのいらだちにもかわる、母の心の動きが私には、言葉には出来なくても、漠然と理解できて、
それが私にとってよかったか、悪かったか、今、大人の私の目で「ねだる」ことの出来なかった私を眺めると、意固地であったと思う。
でも、かつての私を「哀しい」と思うほど、私はセンチメンタルではなく、実は幼い私に「よくやった」といいたい、
かたくなに生きてきた、そのやり方に今も後悔はない。
私の子どもと二人でうつっている写真を見せると、母はとてもよろこんで、「いい写真だ」と、
お盆中、帰ってきた兄弟にも見せて、兄弟もやはり「いい顔だ」と、母がとても「幸せそうだ」と、
私たち子どもにはかつて見せたことがなかった母の「顔」に、兄弟みんなが気がついた。
今の私は、母が幸せそうにしていることで、幸せになれる。
母を幸せにするには、私「一人」では出来なかった。私の「子ども」がいなければ、多分こんなに母は安らいだ表情を見せることは出来なかった。
だから子供がうまれてきてくれたことに心から感謝する。私一人の存在では、出来なかったことを簡単に子どもがしてくれている。
私が子どもたちにしてやっていることを何げなく話すと、母はいつも、「私は、あんたにしてやれなかった」と言う。
「してあげたくても出来なかった」痛みを、母がいつまでも覚えていること、その母の痛みが私を育ててくれたことを、私は感謝している。
痛みも、幸せも、うまれてこなければ、知ることはなかった。
この夏、そういうことに気がついた。