帰ったっす。

留守している間にバナナが大売れに売れたようで、これはばななダイエット以来の大売れではないか、
「いやー、言葉ってほんっとーにいいですね」(水野晴夫調)、言葉はどれほど売れてもなくならない、
ばなながいかに愛されているかよくわかった。
ばななへの反発に世代間格差があるのでは、の意見をチラッと読んだが、
私は3流以下どころで接客経験があるかないか、で反応が違う気がしたな、
店長の失礼をあくまで責めるのならば、まず、客として礼を失したのはばななであることをお忘れなく、
客は神様ではないですよ、店長が神様でないように。(この場合、「神」の定義が違うな)
1流どころに行って気疲れするってのもバブル感覚だな、客として外すことがなければ、さほど気を遣う必要はないのが店が1流である理由、
自分の身の丈以上によく見せようとするから肩がこるんですよ、ちょっとしたことで客を見下すような店は1流じゃありません。
ばなな関連は多いので、全部は読めていないけれど、私が一番面白く読んだのはきりんさんのところでした。
今、小熊英二が「全共闘世代」を「総括」しているけれど、私世代もいつか、断罪されるんでしょうな、
それが切れ味よく、心地いいものであることを祈る、バブル世代も成仏したいのよ、、、
ナルシシズムによる無意識の甘えを痛く思う程度には大人でいたいと思うわ。
ばなな話とは別に、これは世代に関係なく、自分の一方的な好意を「至上のもの」としてとらえている人はネットにも多いな。
その「好意」なるものが相手に「必要ない」と拒否されたら、引き下がれずにその相手にしつこく絡む、
「あなたの価値観と私の価値観は違いますよ」を認めることが出来ない、自分が「絶対」であるから、それを「拒否」されることに耐えられない。
「あなたの好意が私にとってどの程度の価値がありますか?」と突きかえされたことをいつまでも恨む、
「私はあなたのことを全て見透かしているけれど、あなたはこの高尚な私のことが全くわからないのよ」とうそぶくしかないのよね、、、
それを「他山の石」としておくか。正しいおばはん道を歩むように心がけよう。
留守中は、東京に行ったり、あれこれあった。東京行きは大学見物、生まれて初めて「オープンキャンパス」に参加した。
その話はまた後日、今週末はやっと家族旅行、これで最後になるかも、来年は二人とも受験生だしな、、、(涙)