知り合いと話をしていて、何がきっかけだったか「孤独死って言葉、死んだ人をバカにしているよね」と言われた。
「孤独が好きで、死ぬ間際まで「一人で幸せだった」と思ったかもしれないのに」と、たいそうお怒りだった。
彼女は私と同じく元転勤族の子持ち主婦、今は親戚郎党がご近所に全員住む実家近くに家を建てている上に、2人の子どもは息子たち、
とても「孤独死」に反応するタイプには見えなかったので、驚かされた。
私の場合、係累はさほど多くもなく、兄弟は都会暮らし、娘2人がどこででもそれぞれ結婚して子どもを産んでくれれば、それでもう十分、
と考えているので、「孤独死」もないわけではないだろうから、自然、自分の老後、死に方を考えずにはいられないのだけれど、
知り合い曰く、「それは誰でも同じ、いまどき、息子でも、結婚して子供でも作ってくれたら上出来、親の世話まで手が回らないのは目に見えてる」
「どこであれ、人が一人で死んでいくのは変わりない」、「それでも「孤独死」=「惨め」だなんて思われたくない」「一人で死んで、何が悪い!」
と、「でも一人で死んでたら子どもたちの外聞が悪いよね」「腐った私の体の後片付けをしてくれる人に申し訳ない」
などと、あー、私も彼女もやはり「主婦」だなあ、「後片付けが大変!」と私も同じことを考えていたので、笑ってしまった。
「孤独死」なんて言葉は、ごく最近出来た言葉のようで、私が「一人で死んでいた」で思い出すのは
20年以上前、一人暮らしの部屋で二日ほど前に死んだのを家政婦に発見された森鴎外の長女、森茉莉で
彼女の場合「孤独死」などとはされていず、「独居老人死」の言葉で語られていたんじゃなかったかな。
亡くなったときの顔が酷かったと書き残したのが矢川澄子だったか、
死後二日もたっていたのだから本当はどんな顔で死んだかは、定かではないような気もするが、
「一人で死ぬ」におびえを持つ人もいるんだと、感慨深い。
それでも、矢川澄子も一人で亡くなったな、自殺してしまったことはショックだった。あれだけの業績を残した人がなあ。
知り合いとの話に戻して、彼女の方が私より少々年上なので、
「大丈夫、私がちゃんと腐る前までに発見してあげるから」と言って「よろしく頼む」で、お互いに笑った。
我ながらえげつない話をしてるなあ、と思いつつ、子どもの世話をして親の面倒もみる人間とはこんなものなのかもしれない。
人に囲まれているからこそ、私たちは「孤独」をさほどおそれていないんだろう。
「孤独」はまるで私たちの友のように見えることもあり、
その感覚は「傲慢」と見えるかもしれないが、人に囲まれていながらの激しい孤独を私たちは知っていたりして、
ま、なんにしても「孤独死」って、イヤな言葉だわ、かんに障る。
知り合いが同じ感覚を持っていたのがうれしかったので、記録。辛気くさい内容だわぁ、、、