雑談。

病院通いをしていると「夢は孤独死」などと思ってしまうのだけれど、後始末のことを思うとそれもままならないらしい。
今朝の朝日新聞では公営住宅孤独死した人の「遺品処理に苦慮」とかで、
そういえば、知り合いから遠い親戚が死んだので何とかして欲しい、的な連絡があって、
でも下手すれば初めて聞くような親戚で、「一体どうやってここまでたどり着いたのやら」と不思議がっていたが、
どうやら費用をかけて調べてくれるものらしい、なんと一人で死ぬのは金がかかるやら!
「財政負担が重荷」とはそのとおりだろう、しかもこれから確実に増える話だし。
私世代では、結婚していない兄弟とか、結婚していてもあえて子供を作らない夫婦だとか、もう当たり前のようにいるので
そういう人の行く末をどうするべきか、早い時期になんとかしないといけないんだろう。これ以上子供達世代に負担はかけられない。
それにしても、負担をかける側が全くそのことを認識しないのにはため息が出る。
自分の甥や姪に葬式代を残すなんて発想はまるでないし、そもそも、自分が年をとるなんて思ってもいない、
私世代では、まだ兄弟のいる人が多いんで親の老いをほかの兄弟が面倒見ていたりして、そうなると永遠に「若大将」というか
永遠に「絶好調」なわけですよ、えらっそーに人に説教することだけ覚えるしね、
つか、他人に頭を下げられなくなる、何をしてもらっても「当たり前」、いや、むしろ「この素晴らしい俺様のお世話をさせてやってるんだぜ」な、
いつか、首をひねってやりたいようなバカになっちまって、本当にねえ、、、(涙)
ま、「いつも、いつまでも、今日が最高の私でいたい、、、」なんて妄想を抱く阿呆としか結婚できないようなもともと馬鹿、といえばその通りなんで、
ああ、身内にこんな困ったちゃんがいると、こいつらの始末は何が何でも私がやって死ぬ!とか思っちゃうぜ。
しかし甘やかされきった人間の末路がどんなものであるか、本人たちはあんまり苦にならんだろうな、苦になるのは周囲だけで。
多分、こちら側が苦を苦と思わないようにまで成長するんだろう。ありがたいような、ありがたくないような。
するべき時にする忍耐から逃げ切って、舌を出しているような人間は、やはり不幸にも思ったり。
子育てを含むある程度の忍耐って、やはり必要みたいな気がする。しない人には永遠に分からないだろうが。