雑談。

今朝、テレビをつけると「朝イチ」で「介護問題」を取り上げていたので、出かける用意をしつつ聞いていると
やはり、介護は「家族」の問題なんだなと涙。
わかるわぁ、離れて暮らす兄弟は勝手言ってくれるわぁ、ほんま、腹立つわぁ、などと、テレビに共感するおばちゃん。
有働さんが司会なせいか、同世代にドンピシャな話題を振ってくれるわねと、勝手に同世代感覚でいる私。有働さんの方が若いはず。
なんにしても、すべての「責任」を「一人」が負わねばならない精神的辛さが、肉体的辛さを上回る気がする。
よく「昔の女の人は偉かった。ちゃんとお姑さんの面倒を見た」的な話をする人がいるが、
昔は、なんだかんだで一族全員が周辺に暮らすという形態をとっていたからね、一人、爺ちゃん、婆ちゃんがぼけたとしても、
子供達全体で、誰かが持ち回って面倒を見る、最終的な決定は、長男夫婦が責任をもったんだろうが、
とにかくひとりの人間に一人の面倒をすべて見させることはなかったようだ、
全員が、かつて家族の一員として機能していた年老いた人の面倒をなんとなく見ている、そういう状態をすっとばしがちなんだよね。
昔より、はるかに今の方が辛いと思うわ。
ま、そんなことを書くと、必ず「昔の人は偉かった」と言いたがる人は、やれ「電化製品はなかった」だのどうのというんだろうが、
精神的負担が今の方がよほど大きいとは認めてもいい現実だと思う。
そこから始めないと、多分、育児や介護の大変さってわかってもらえないような。
少子化問題は、いずれ介護にも関わってきて、
つまり、日本のいろんな制度は親戚がかたまって暮らしていたような時代を元に作られているから、遠い親戚なのに「面倒を見ろ」的な
ある日突然思いがけない連絡を受けたりして、不可能なことに対して無駄に罪悪感を持たされたりする。
父親の「いとこ」の「子供」の「嫁」が死んだから引取りに来い、みたいな話を唐突にされる話を時々聞くのよね、
「誰?それ」みたいな、要は「赤の他人」だけど、一応「縁者」だったりして。
そういうのがなくなる仕組みを少子化時代のこれから考えるべきなんだろう、と思う。
ま、介護の果てにある問題ですが。
核家族に親類はいない」を前提に社会制度を作って欲しいものだわ。