納得する言葉。

こちら(http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080425)で、
「生徒の成績は一種の貨幣になっている」と読まれた本のくだりを紹介されていた。
これは、学校で痛切な願いとなっていて、例えば今、上の子を通わせている「スーパーサイエンス校」では、
芳しい進学結果を出せていないので、先生方は相当焦っている感触を憶える。
もうみもふたもなく「旧帝大」を目指して欲しい、どこの学部でもいい、とにかく大学の「名前」が欲しい、と
入学者試験でたまたまよい成績を取ったばかりに上の子にプレッシャーがかけられている。
子供はそれほど勉強が好きではないので、私が知る限り、帝大系とは基本的に研究者を育てる「機関」であるから
やはり「勉強」が好きな人が目指すところではないか、と思うのだけれど、
日本の「受験」勉強とは未だに「暗記」が幅をきかせていることを今回の娘の受験でしみじみわかってしまったので、
「まるおぼえ」が得意な娘はやはりそれなりの「期待」がかかるんだろうなあ、と頭を抱えている。
勉強が好きではないものの、たいていのことは一度聞けば憶えてしまう、
といってそれを用いて新しい何かを導き出せるかというとそれは苦手で、その「やり方」を教えないと出来ない。
物覚えは悪いが自分が「必要だ」と選んだ数少ない情報を元にして的確な「解」を導き出す下の子とは違う。
私が評価する「頭の良さ」とは、実は下の子のこの「技術」で、
この「技術」を「教育する」のが本来の「ゆとり教育」の理想ではないか、と考えるが、多分これは今の「受験」にはむかない。
「スーパーサイエンス校」というのはウィキペディアでみたところ相当誤解があるようで、
指定される研修内容とは今の「受験」には不向きだ、元々「ゆとり教育」に「理想」の仕上げ的なことをさせているのだから。
学んだことを使って「独自」に子供に研究させる、その手助けを大学の研究室などがサポートする、と
その研究結果はそれなりに面白いものであるのだろうが、それを真面目にやっていると
「丸暗記」の「受験」スタイルを変えない大学への入学はおぼつかない。
スーパーサイエンスで育った子供の受け入れ先がほとんどない、と言うのが現状であるにもかかわらず
「スーパーサイエンス」というのだから「エリート養成」だろう、でも「エリート」大学に入ってないじゃないか、と
うちの子の学科は地元では嘲笑の的になっている。
だから子供をスーパーサイエンス校の特別科に進学させると決めたとき、反対する人もいて、
「なにか誤解してる」「ろくでもないことしか子供にさせていない」「まともな大学に行けない」などと、
スーパーサイエンスの結果とはすぐに出てくるものではなく、短くても10年、
そのくらいの「時間」を与えなくては本当の「結果」は出せない、これを理解する親があまり多くいないのが現状だ。
「スーパーサイエンス」指定で、他の学校に比べればふんだんな「予算」が与えられるので
その「予算」に見合った「結果」を出せ、一番わかりやすい生徒の進学実績で示せ、と世間に迫られているのが現場の先生方で
たしかに「子供の成績が貨幣」とはわかりやすい、「貸した」金は返せ、と言うことなんだろう。
kmiuraさんの「通貨統合」が何を意味するのか私にはわからないけれど、この「貸した金」がよい方向に向くのかどうか、
スーパーサイエンスで指定される研修内容は今は悪名高き小中学校の「総合」の授業の高等部型なので、
ゆとり教育」で育ち、スーパーサイエンスで学ぶ子供がどうなるのか、見守っていただければありがたいと思う。
佐々木賢氏の名前は聞いたことがあるので一度くらいは新聞紙上で読んだことがあるような、機会があるときに読んでみよう。
なんだかまとまりませんが、「成績が通貨」には納得したので書きました。
現場の先生が一番、現実の矛盾をよく知っているはずなのに、どうして「大学の名前」なんだろう、私はこれには納得できない。