色々。

格差って、「ふつー」の人がいなくなる、ってことなのかもなあ、、
ちきりんさんのところは私がみたときから3倍以上のブクマがついていたのでみんな「格差」が本当は何なのか、
考えあぐねてるってことかもしれないな。
コメント欄に書いたB君の話が「自己啓発本」的ってのは私も「イメージ」だったんでわかりにくくてすみません。
「ピンチをチャンスにかえろ!」とか「発想の転換を!」みたいな、「あなたには必ず出来る」とか、
どことなく「江原なんとか」とごっちゃになってるような、、「楽観」的な「ものの見方」って感じかなあ。
そこそこ「間違ってない」、でもビミョーに「何か」が違う、B君はとても「ふつー」の人で、それを自分でもよく知ってる、
だから彼の自分の「位置」の説明は的確だと思う。
「エリート」ではない、「ふつー」の人が少なくなった、とB君の話はそういうことかな。
なんにしても30代半ばの男性とはどの世代に生まれていても「俺は出来る!」の万能感に一度はとらえられていないですかね。
ブコメでもB君に否定的な意見もわりにあったし、私も「どーかなー」と思うけど、
「ロスジェネ」世代、B君の発想が意外に「バブル」を引きずってる気もして、そういうのが面白いと思った。
今はどうしているのかわからないホリエモンが「金で何でも買える」と言ったとき、「あら、バブルの残滓」と思った。
金が発明されて以来当然のことを今更ながら言う、そういう奇妙な「無邪気」がバブルで始まった気がする。
ロスジェネ世代って、子供時代にバブルを知ってるんだよね、そこら辺がまだやはり甘いんじゃないかな。
大不況下で子供時代を過ごした世代がこの先社会にどう影響を与えるか、つまり私の子供世代だけど、
ゆとり教育」を受けて、それがどんな形で大人になって現れるのか、楽しみなような、不安なような。
ところで「バブル」を楽しんだ人っていたかな?
よく取り上げられるバブル時代の就活で、確かに旧帝大卒で「へー!」というようなおもてなしの話を
たくさん聞いたけど、それを楽しんでいた人なんて私の周りにはいなかったな。
「これが全部これからの自分の給料に回されると思うと、、」みたいなことを言う人が多かった。
「しわい」京都の帝大生だからか、(わはは)「解禁日」とやらに会社の人買いに監禁されて舞子はんと御茶屋遊びをした人曰く
「舞子はんは化粧が濃いし、御茶屋の料理の味はよーわからん」「会社の「大人」につきあわされた、ってかんじ」と
そこですでに会社の上司への「おつとめ」が始まっていると、気が付くレベルの学生でなければ
意気揚々たる「はず」の30代で猛烈な不況に晒されて、「自分万能感」に浸るヒマもなかった世代が
生き残ることは出来なかったってことかも。
お馬鹿であるよりむしろ「ふつー」の人が多かったバブル世代はB君みたいに30代で「意気揚々」とは出来なかった、
息を潜め、容赦なく切り捨てられる同期を横目で見ながら、家族を持つものはなんとか耐え抜いた。
私は地方に住んでいるんで、都会でリストラにあって帰ってきたご家族をいくつか知っていて、中には高校時代の先輩もいて
昔、就職先を聞いたとき「さすがー!」とみんなでもてはやした人が何もかもなくして帰ってきたと知った時、やるせなかった。
「社員は悪くありません!」、当たり前じゃ。あの社長は今どうしてるんだろうな、、、私の先輩はお元気です。
不況の影響はロスジェネ世代にもっとも負担がかかった説を私は実はちょっとだけ疑っている。
まあ、そう書くと猛反発をくらうでしょうけどね。
ふと、バブルの輝き(?)って、今話題の「ラッセン」の絵の「きらきら」に似てるかな、と思ったり。
あの頃の時代はそんなに輝かしかったか?
その輝かしさは「ラッセン」の絵みたいだ、お好きな人にはたまらない、、ってことでしょう、私には不快な時代でした。