雑談。

お気に入りの方のところで
「貧乏をバカにされたのではなく、何も真面目に貧乏を受け入れなくとも、ちょっと技術を身につけたら
金なんていくらでも手に入るのにぃ〜って言われていたのかもしれない」の言葉を見て、おおー、鋭い。
その「技術」を身につけるのが「嫌」だったんだから、貧乏しても文句は言えないな。
いまどきの「貧困」と私の若い頃の「貧乏」は全く種類が違う。
もう今は「選択」のしようがない「貧しさ」だもの、あの頃、なんのかんの言って、選べるだけの仕事はあったものね、
私は自分を信じていない人間なので、夜9時以降のバイトはしない、と決めていて、それで何とかなってた。
やりたくないことをやらずにすむ、これは「贅沢」してたんだなあ、と思う。住むところはあったし、今の「貧困」に比べれば、ぬるい。
確かに、「うまく立ち回れ」みたいなことはよく言われた、でもそれが本当に「うまく立ち回って」いることなのかどうか、
私にはそう見えなかったし、実際、何年か後にその「うまく立ち回った」はずの人たちがどうなったか、
「うまくやっている自分」に酔っているだけで、本当の「うまくやった」ではなかったようだ。
「バブル」とは「時代」をよく表した言葉で、自分に「酔う」だけの夢はただ消えて、
残ったのはその「泡」でも落としきれなかった世界の汚れ、「貧困」。本当は「泡」ほどの力もなかった。
貧乏人がはしゃいでただけ、が真実だろう。ありもしないお金を使っていた。
「景気がいい」はずの当時のことを、幼なじみの父親(鉄工所の社長)は、「仕事の量は全然変わらなかった、増えもせず、減りもせず」と、
彼にいわせると「バブル」とは「銀行が悪い」、やたら「設備投資しろ」「不動産を買え」と、お金を貸したがった。
乗せられて、自分と同じような零細、中小を経営するおっちゃんたちが、身の丈を知らない「買い物」をして、借金を背負わされて、
バブルの崩壊と共に全てを失って、跡形もない。
「わしらのように無学で、戦争の後、ただただ働いて、なんとか一国一城の主になったようなモンには、
スーツ着た大学出の「エリート」が、ぺこぺこ「お金を借りてくれ」といってきただけで、いい気になる、自分が「えらい」ような気がしてくる、
それに乗せられた気持ちはよくわかる」と、不況下で消えていった仲間たちに同情的だった。
でも、全てをなくした仲間の一人から、逆恨みをされて放火されたこともあったりして。「お金をなくす」とは本当にこわい。
精神の安定を失って、出来るだけのことをしてくれた人のことも理解できなくなってしまう。
それを私は「バブルの崩壊」で学んだかな、そして今では子どもたちが教科書で教わる、まったく、なんのためなんでしょうかね。
バブルの頃に「設備投資」だの「不動産投資」だのをまわりに勧められていたにもかかわらず「わからないことには手を出さない」の
幼なじみの父は、私が学生時代に帰省して遊びに行くと、都会で一人暮らしをする私を心配したのか「真っ当に生きていきなさいよ」とよく言って、
今にして思えば、その不器用をバカにされている自分に言い聞かせて慰めていたような、
「おっちゃんにそれを言われてもなあ」とその頃の私は思っていたが、ずっと心に残っている。
文科省経団連のメンバーに同じようなことをいわれると、むっとするけど。言葉の重さが違うんだよなあ、、、
真面目に「貧乏」とつきあってよかったと実は思っている。その「貧乏」は私が「選んだ」貧乏だったし。
バブル時代にあえて「貧乏」を選んだ、「究極の贅沢」をしたと思っておこう。
昔の「貧乏」と今の「貧困」の違いを考えると、時代は変わるもんだね。