「ラッセン」の思い出、、、

数日にわたってブクマを集める記事はいつも面白い。で、「ラッセン」。みんな好きだね、「ラッセン」。
以前、女の子の部屋に飾っていたら「いやン」な絵として「ラッセン」をあげられた方がいて、
エントリの主旨はそこではなかったけどみんな「悪趣味の極み」としての「ラッセン」に食いついているのが楽しかった。
これだけ知っている人が多い「ラッセン」って何者なんだろう、と思っていたら、なるほど、売り方が強引だったのか、
ほとんど関わりを持ったことがなかったんで知らなかったなあ、、妙な売り方をされてたんだ、「ラッセン」。
前にも「ラッセン?」のタイトルで書いたように知り合いだった元ヤンキー家のリビングに堂々と「ラッセン」が飾られていて
そりゃーもう得意げだったので、やはりお客様の立場として「いいね」とほめて、
この場合、私がほめたのは、自分の趣味を何一つ恥じることのないその素晴らしき「姿勢」であって
私は「ラッセン」の絵は色から「シンナー」の匂いが漂ってきそうで好きじゃない。
それでも「どうよ?」と「勝負かける」的な彼女の「スタイル」を私はこよなく愛していて、
「いいね」と言われて素直に喜ぶ彼女がやっぱり好きだなあ、とその評価は今も変わっていない。
見下してるワケじゃない、本当に彼女はある意味立派な人だったので、「ラッセン」の絵を飾ることで「悪趣味」とは思っていない。
彼女曰く、結婚したばかりの頃、部屋に何かが飾りたくて、たまたま入ったところで勧められて
ラッセン」を「30万円」の「ローン」で買った、若かったので、お金もなかったけどがんばって払いつづけて
一つの「財産」を作った、とそれは本当にその通りだと私は思う。
例えお金に困ったとしても彼女がこの「ラッセン」の絵を売ることはないだろう、この絵は彼女の「幸せ」の絵だからだ。
そして「ラッセン」の「ポスター」(だと思う、「直筆サイン入り」、だとか)に払ったときと同じ値段はつかないと知ったとしても
彼女は「それでも私は30万払った!」ことを誇ると思う。お金のないときに毎月何万円かは知らないが
それだけは欠かさず払ったこと、それが彼女の「結婚」の「証」だったんじゃないか、
「30万の絵をもってる人なんて誰もいないでしょう?」と、彼女。ウン、私ももってない、私は絵に30万円もだす「勇気」はない。
あのとき30万円の絵を「結婚」したばかりの「二人」で買った、そしてずっとそれを大事にしている、
多分こういうのって日本の「ヤンキー文化」の「正」の部分、「浪花節的」と言おうか、「けなげ」と言おうか、
これを見下す人は誰もいないだろう。その点で言って「ラッセン」は「絵」としての一つの役割を果たしてるんだと思う。
大野先生のエントリはいつもながらに面白くて、とても腑に落ちた。
コメント欄で、妙に絡む人も見受けられたがエントリの主旨が理解できない人だろう、
紛れもない田舎ものである私が読んでも「馬鹿にされた!」と感じるようなところはない。
ブコメにも色々情報があって、私的に悲しいのは私は「ミュシャ」の絵が好きだったので、同じカテゴリーにくくられてしまったのが残念至極。
「レンドルコレクション」をふくむ画集を何冊かをもっていて、テニスプレイヤーであるイヴァン・レンドルが
有名な収集家だったのだけれど、確か彼は破産したか何かでそのコレクションを手放して、
それが「アールビバン」の手に落ちたんじゃないか、
一度、近所の「スーパー」で「展示会」なるものをやっていたので見に行ったが、やたらに狭い会場を囲いまくって暗くて
絵がちゃんと見えない、それにしてもその印刷技術の出来の悪さにがっかりした。
そういえば若いにーちゃんがすり寄ってきて横で何か言ってた気もするが、聞いてなかった。
ミュシャの絵は「絵」と言うより元々「イラスト」、「商業美術」なんでわかりやすいし、柔らかい色が日本人好みなんだろう。
ただ、家に飾るような趣味のものではないんで欲しいとは思わない。
(あれを家に飾ったら、安っぽい「キャバレー」になる気が、、、)
まあ、あこぎな商売に使われると何もかもが台無しってことで、、、(涙)