代理出産問題。

重い話題と共にお気に入りの方が復活。「代理出産問題」。
相変わらず諏訪マタニティークリニックの根津先生はご活躍のようで、この人と万波先生はすごい先生だなあ、
確信犯で切ったはったをする点でよく似てる、と業界の評判は知りませんが。
それにしても子供を「義理の姉妹、その他」に産んでもらう、の発想はいかにも「家名存続の倫理」的で、
最新の医療技術を用いながらまだ、人間の意識としてはこんなものか、
例えばどこかの誰かに産ませた子供を「嫡子」として「家」に迎えたり、
兄弟、姉妹の子供の1人を養子にしたり(両方、今でもあることだけど)、「家」のためなら人は何でもする、
「家」のための「人」でしかないのが意識できているんだろうか?「帰属」するものへの「執着心」と思うべきか。
だから多分、「家」のためにならない「子供」であればいらない、
何らかの障害がある子供であれば「家」の後継者としての役割を果たせないので「いらない」と言うおそれはかなり高い。
残したい遺伝子は「優秀」であるべきものだけだから、それが認められないものは「家」に「必要がない」。
「産みたくなくても産まされる人」と「産みたくても産めない人はかわいそう」とはどちらが強いんだろうな。
どちらも同じ「家」に属するものであれば「家への忠誠心が足りない」、で「産まされる側」の声は圧殺されそうだ。
近親相姦を持ち出されるまでもなく、私は自分の兄弟からそういうことを頼まれたら迷いもなく断るのだけれど、
もし、自分の娘にそれを求められたらどうか、これを断ることは非常に難しいとは思う。
ただ、「子供」がなければ結婚の継続が難しいというのならば、「産む機械」を必要とするような人と生涯を共にするのは空しい、
子供が産めないことも含めて受け入れてくれる人を探せ、とは言うだろう。
まあ、子供達が私に頼むことはないと思うけどね、兄弟が私に頼むことがないように。
私は一人息子に男の子を産んで欲しいという嘆願を却下するような冷たい人間なので。
根津先生の意見はだいぶん前に新聞上で読んで、それなりに「なるほど」と、
ただ、記事にはそういう特異な「出産」をした人とその後連絡が取れなくなることが多い、
無理のある出産を経て生まれた子供の「追跡調査」が出来ていない、と何年前だったかな、書いてあった。
「さもありなん」、子供がそんな生まれ方をしたと他人に知られたくない、いかにも「お家」のため、の発想で、
そういう人たちに子供を与えることが福音であるのかどうか、根津先生も悩むところはあるだろう。
でもするんだなあ、やり始めたらやめることは出来ない、人間の「進歩」に関わることでもあるから。
それを利用する側の意識は千年以上前から変わってないけれど、それがないと人間というものは続かないものかもしれないな。
子供を持つ権利がどこまで許されるのか、線引きの難しい問題だ。
調べればどこの家でも誰かの直系が3代以上続くのは「まれ」のようなので、
代理出産」でそれがこの先「可能」になるってことだろうか。
なんにしても女の身体は「消耗品」だな、とこの手の話を聞くと考える。私は「女は生涯現役」なんて言葉は大嫌いなんだけど。