久々の読書日記。

そういえば朝日新聞の書評委員が替わった、野口武彦先生その他、好きだった人がぬけて唐沢俊一は残る。これいらん、
野口先生、カムバーック!
今回の書評に、ちょうど今読み終えたばかりの「若者は何故3年で辞めるのか?」の続編、
「3年で辞めた若者はどこに行ったのか」が紹介されていたので、久々に読書感想。
「若者は何故3年で辞めるのか?」とは、年功序列型の会社など幻想で、
使い捨てにされるのがイヤな若者は逃げ出す、とまあ、私としては、「ふーん」の内容で、特に感想は無し。
要は、「俺たちは若いんだ、うまくやろうぜっ!」って本でこの手のものは昔からよくある。
既得権のために俺たちは使い捨てにされるかもしれない、「坂の上には雲しかなかった」(って、例えでよかったか?)
もう「約束された大地」などない!「新天地を探そうぜっ!」と、大体このくらいの年代の人は必ず言いますです、はい。
既得権を守るために使われるのは今も昔も「若者」であって、「何がなんでもかけらほども損はしたくないぃいー!」の叫びは
それはそれで哀れでもあるけど、私が興味を覚えるのはこういう人が年をとったとき、若い世代に何を言うようになるかってこと、
年をとる、と言うことはある程度の「既得権」を得ることで、でも、思いもよらぬ発想でそれを奪い取ろうとする世代が
必ず現れるのでそれに対して、どう出るか、そこが気になる。あっさり自分の「権利」と信じてたものが手放せるのかな?
手放せるのならいいなあ、と本当に皮肉ではなく思う。年と共に人間は言うことが変わってしまうからね、私も含めて。
かつてとても新しく聞こえるようなことを言ってた人が今、どうなってるか、私よりちょっと上世代である
「負け犬の遠吠え」を書いた人はかつて、「遊ばなきゃ、駄目でしょ?今は」てな調子のことを色々書いてた記憶があるんで、
時代が変わって唐突に「結婚していなければ負け犬」「専業主婦は勝ち組」なんて言い出したのには本当に驚かされた。
結婚「なんか」しないで遊ぶことこそがその時の「理想」だったでしょ、結婚なんかした方が「負け犬」だったでしょうに。
でもこの考え方は今でもあるようで、お気に入りの方が先日エントリで
「結婚したら自分の時間を3割あきらめる」云々と言ってる人のことを紹介していて、はあ、なるほど、と
私は「自分の時間を3割あきらめたくないから結婚を迷う」なんてへたれとは結婚したくないっす、と
このへたれの結婚相手につくづく同情してしまいました。
あなたに与えられるものがたかだか3割程度の時間と秤にかけられますか、って、私はこういう人とは結婚しないです。
おっと、脱線、「若者はなぜ3年」の本については「結婚で3割の時間云々」の話を取り上げた同じ方のところで
非常にいい書評があります。「東大法学部を出て富士通か」ってな身も蓋もないご感想もあったような気もしますが。
「上の世代よりもうまくやりたい」とは常に若者は考えてるのです、で、やれたのかどうか、
ちょっと自分的には結論が出てないんで、今の城繁幸さんがどう思ってるのか
図書館で今回書評欄に出てた本を憶えていたら借りようかな。
ともあれ、がんばれ、若者、とかつての「新人類」は思うのでした。
昔、「負け犬の遠吠え」に関して自分が感想を書いてたのを思い出したので、一応紹介。
http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20060725
http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20060726
今日は午後から入学式、明日もまた。急がしいす。