雑記。

イヤほど書類書きをしなければいけないのに逃避、「ぼへー」とネットにふける。
ふと見た日記のコメント欄で「女」という言葉でバカに出来てるようなコメントを見つけて、驚愕する。
えぇえぇえぇー?こんな日本語、まだあったのー????
「男」におきかえれば「終了」のような、「女」という言葉に何か意味があるのか?
「学歴コンプレックス云々」も書いてあって、はてさて、「学歴コンプレックス」とはいかなるものか。
今や「東大」「京大」合格おめでとうハイシーズンで、なんでマスコミはこんなに旧帝大ばかりをマンセーするのか、
毎年「東大」「京大」を必死にお受験させるご子弟をマスコミの方々がお持ちなのか、
ありふれた猥雑な地方都市でおばちゃんやってる私の身の回りでも「元東大生、京大生」ってなにげにいるんですけど。
これは特殊な環境なのかな?
それなりに立派な人もいるし、ちょっと変わった人もいるし、まあ、昔、よく勉強が出来たんだね、
基本的にお勉強が好きだよね、と、思うだけだなあ、特別周りから祭り上げられたりもしてないし。
よく雑誌なんかでは「学歴」が金を稼ぐ、的な取り上げられ方をしていて、
でも私の身内の人間で最高学府の最難関学部を院まで出て30過ぎまで親に援助してもらったり、
はて、高学歴って金を稼ぐかね、金食い虫なだけでは、などと思ったりして、
世の中に役立つ人間になる、それで自分のプライドを満足させる、と言うのは、本人も、周りの人間も並大抵の努力ではない、と
ご立派だと、よく勉強して、しっかりこれからの「くに」を背負ってたってくださいよ、
と決して自分がそういう親になりたいとか、子供にそういう役目を担わせたい、とか思わない私は凡人。
なんだかなあ、私が知っている現実と、世間一般で認識されている現実(?)が違っていて不思議。
塾のコマーシャルに憤ってるとワケのわからんコメントをしていく奴もいるし、勉強をして、努力するのはやはり立派ですよ、
それを低くみる人間ほどバカはいないわけで、と言って、過剰にそのことを持ち上げるのだって何かが違う、
そういうことを私はいつも言いたいわけで、
ほどほどに幸せに生きていくのに「学歴」は多少の役には立つだろうけど、それだけじゃ駄目で、
だからそれ以外のものも出来たら持っていて欲しいな、
「学歴」以外のもっと大切なものを「学んで」欲しいのが私の子供達への願い。
「学ぶ」って本来楽しいことですよ、「お勉強」じゃなく、もっと「学ぶ」ことを楽しみたい、
そういう心を一番子供に持って欲しいんでこれは多分「学歴」とはあまり関わりがない。
どこで何を勉強していても「女」と言う言葉で他人をバカに出来ると恥ずかしげもなく考えているようじゃ、生きてる意味すら危ういような、
いやー、でも「死語」だと思ってた「女」であることで全てがおわり、的な使い方を見かけて、
どこかの誰かさんは使うんだなあ、とても生暖かい目でしげしげながめたのでした。
さー、書類書きでもするかな。