お受験反省記。(その3)

高校受験の本当の難しさ、とはどこまで親が子供の勉強に介入すべきか、と言う点ではないか、と今考えている。
中学受験をさせた人から、通わせていた塾の先生の話を聞いて、それによると
「中学受験を成功させるのは親次第」「親のやり方でどうにでもなる」と、
「へえ」とその時の私は思ったきりだったが、今になればそれも「なるほど」、とよくわかる、
つまり、まだ親の「操り人形」でいることを比較的素直に受け入れる年齢である、と言うことなんだろう。
「操り人形」とはよくない言葉ではあるが、まだ親の言うことをよく「聞ける」、「聞く」ことが「自然」である、の意味だ。
特定の職業に就かせたい、あるいは特定の大学に進学させたい、で、家庭に余裕があれば中学受験も
子供の選択肢の一つであっていいのだろう。心が不安定な時期に受験をさせないですむは大きいかもしれない。
冬休み中、子供は妙に勉強するのをいやがって、私に当たり散らし、しかられてめそめそ泣き、でも勉強なんてしたくない、
じゃあもう勝手にしなさい、と言えば、何でそんなことを言うの、ひどい、ひどすぎる、みたいな、
いやはや、なんですか、それは、と、ほとほと手を焼いた。
Z会の数学の成績が少しづつ悪くなり、年末年始の試験も数学が10点以上落ちた。
これはどうしたことか、とたずねてみても、「別に」だの「ちゃんとわかってる」だの、きぃきぃ、と怒り狂うばかり、
結論から言えば、夏以降、「得意だから」と数学を手抜きして、だんだんと自分がどこまでわかってどこまでわからないのか、
皆目見当がつかなくなっていたのだ。
これは本人にとって相当ショックだったようだ。数学はずっと得意科目で、95点以下をとったことがなかったのに
点がとれない、どうしたらいいのかわからない、
私が何故子供がぐずっているのか気づいて、その原因を突き止めたのは1月半ば、受験まで半月を切った頃だった。
複合問題が弱い。関数と図形を組み合わせた問題や、図形の立体構造を用いた式の計算、
元々図形が苦手だ、空間図形、線対称、点対称、面対称、小学校ではあまりふれない分野がやはり弱かった。
合同はともかく相似も今ひとつわかっていない、それと関数が組み合わされるとお手上げになる、
「わからないがわからない」、それが認められれば大人になれるんだろが、合格した今でも認められていない。
とにかく私がしたことはなだめすかして数学の問題に立ち向かわせること、
すぐに「きぃきぃ」を言い出すお嬢さんにそれをさせるのは本当に大変でしたわ、、、(遠い目)
元々気の優しい子で、「わからない」と言えば私が心配する、誰にも心配させたくない、ちゃんとやるモン、出来るモン、
でも、「出来ない」、あたしはもう大きい子なんだから、こんなことちゃんと出来るんだから、って
出来ないことを出来ないと認めることが大人のやり方でもあると、気がつくのはまだまだ先になるだろう。
出来ないを認められない、とは、くだらないプライドの問題だったような気もする。
学校の先生か塾の先生に、この状態から抜け出すのを手伝って欲しかったと心から思う。
それがあれば、どれほど子供にとってよかっただろうか、
親以外の誰かが自分の状態を理解してくれた、があれば勉強に向かうのも違ったと思う。
こういう機会を与えてやれなかったのが私の反省の3点目、
14歳の「子供」の心の動きは実に複雑だ、これだけはよくわかった。
大人に「頼る」ことが難しくなってきた時期の受験は大変だ。大学受験はどうなるやら。もう少し大人になってくれるかな?
だらだら書いてきたが、最後は子供の受験に対する醜い夫婦バトルを残しておこう。
それはまた明日、「反省」、にもだいぶん飽きてきました、、、