お受験反省記。(おしまい)

小学校受験とか中学受験をさせる人が周りにいるので色々話を聞く機会があって、「ほうほう」と涼しげに聞いてたけど
小学生の塾の先生ってのは結構、言うねえ、
つまりは「受験に落ちても子供を責めるな、自分を責めろ」が塾の先生の意見なんだろう、
「中学受験の失敗は親の失策ですよ」というのは。塾の先生は偉いね。
自分の高校受験の時、上が浪人で、もう一歩も引けません状態だったんで私は放りっぱなしにされて、
それでも受かったんだから、大丈夫、程度のぬるい感覚の親なので、
この手の話をじっくり聞いた方がよかったかもしれんな、と今頃思う。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だからとりあえず「反省」文を書いている。
正月にダーリンが私に「今まで一体何をしてたんだ、母親のくせに」と夜中に怒鳴って醜い夫婦げんかが始まった。
年末年始が娘の不安定、不機嫌のピークで、私もほとほと飽き果ててたんで
ダーリンが「(子供の名前)の受験は大丈夫か」と聞いてきた時、
「さあ?一度落ちたらいいのよ、あれだけ勉強してなくて受かろうなんて甘すぎ」と答えて、上のような反応となった。
「本人が勉強しないもの、どうやって私に勉強させろって言うのよ、何もしないくせにいい加減なこと、言わないで!」と
日頃の鬱屈が出ましたなあ、本当に何も見てないもの、自分の子供なのに。ま、私1人が見るのが私の「仕事」、ですけど。
「母親がそんなでどうするんだ、結局、自分がやりたくないことをやらないだけだろう」
「適当なときだけ子供に「いい顔」して、イヤなこと全部私にやらせないでよ!」と、諸々、醜い、
よい子の夫婦の皆さんはまねしないでね(はーと)、な罵りあいをした後で、
「本人がどんなにいやがったとしても、やらせるのが親の役目だろう、
たった1ヶ月、泣いてもわめいても勉強をさせないでどうする?いつ、真剣に勉強するって言うんだ」と
これはごもっともなご意見で、たったのひと月、やるだけやる、受かろうが落ちようが
とにかくもうそれほど時間がないのだからそれまで一生懸命やる、「やらせる」、が確かに「親の役目」と私も思った。
「あなたもちゃんと(子供の名前)に言ってちょうだい」「わかった、ぼくも言う」と体力のない中年のバトルは穏便に終わる。
喧嘩は疲れますからなあ、、しなきゃいけないことは他に山ほどあるから体力は出来るだけ温存しなきゃね。
安普請の家のことなので、このバトルが問題のお受験生様に聞こえたようだ、自分のために夫婦げんかしてる、が応えたらしい。
小さい頃から私たちが喧嘩をすると「やめて、やめて」と泣きながらわって入ってくる子だった。
次の日から渋々であっても、勉強をするようになった。
私もそれで問題集の間違いをチェックし直して、子供が何故、ああも不機嫌でいるのか理由がわかったわけで。
わからないことがわかるのが怖い、もう間に合わないかもしれないがわかるのもこわい、と子供はおびえて、
わからないことは遅くであってもわかればいい、受験に「間に合う」「間に合わない」の問題ではない、を
私は子供にわからせてやれなかったということで。
教育方針としては、試験に受かる、受からない、よりは何が確実に「わかっているか」が私は大事だと
子供に伝えている「つもり」だったんだけど、「つもり」はあくまで「つもり」、伝えられていなければ何の意味もない。
これに一番反省している。
なんのかんの言って、私はダーリンと喧嘩しなければ子供の不機嫌の理由がわからないでいたので、
喧嘩してよかったかも、とその時も思ったが、子供の教育の「全て」を「君に任せた」みたいな、
(でもその「信頼」を裏切りやがって、てな口調だった)そういう「態度」はかなり後々まで許せないでいた。
「子供にちゃんと勉強するようにぼくからも言う」なんて「約束」は守られやしなくて、まあ、私も期待しなかったけれど
試験が終わった後、「自己採点」を逃げ回る子供を捕まえてちゃんとチェックして、案の定、数学の「大問題」、
難しい複合問題は全然出来ていなくて、本人が主張する「もうちょっとで出来るところだったけど、時間が足りなかった」の
答えが全然間違ってたのもダーリンが指摘して、(ただ、考え方としてはあっているんだそう、非常に遠回りらしいけど)
チェックした限り、その問題以外、間違っている部分はなかったので、
「よくできてた、よく頑張った、間違いがあれだけで、落ちたとしても悔いはないだろう、(子供の名前)はよくやった」と
夜中にぽつん、と言ったので、許してやろうかな、
学校で子供はずっと「出来る」「出来る」で放りっぱなしにされて、それでもし落ちてしまったら、先生の期待を裏切った、と
子供は心ひそかに自分を傷つけてしまうのがわかっていたので、
少なくとも家庭で、「よくやった、次があるんだ、またがんばろう」と、そういう受け入れ方を「夫婦」で出来れば、
子供にもそれが伝わるかな、とか思ったのでした。
大事なことを一生懸命伝えている「はず」なのだけれどそれが伝わっていない、そういうことはいつでもあることで、
運の悪いすれちがいとか、そういうことが発端になって、とんでもなく不幸なことが誰にでもおこるかもしれない。
受験だけじゃなく、どんなことでも。そういうことを私はよく考える。
子供を育てるって、「母親」1人では無理だなあ、少なくとも父親に協力してもらわなければ、と
父親ではなくても、いろんな「人」、たくさんの人が「子供」を気にかけてくれる、それで初めて、「子供」が育つ。
そういうことがあらためてわかったのでした。
一人息子で「蝶よ花よ」で育てられたダーリンは私と喧嘩するのが耐えられない、と大昔言ったことがあったけど
育ちが悪くて、けんかっ早い、ふまれてもふまれても立ち上がります、な私と結婚して、しょっちゅう喧嘩をふっかけられて、
それでも、このあいだ、「夫婦げんかをする方が長生きできるんだって」なんて言ってたんで、
醜く喧嘩しながら、失敗しながら、子供を育てていこうね、とか思ったのでした。
反省は他にもいっぱいあるけど、受かってくれててよかったです。おしまい。