わかってるけど、書いた。

見たくないようなモンは見たらあかんと心で唱えつつ、また花岡信昭愛蔵太君のところを読んでしまったよ。
愛蔵太君は「わざと」書かないでいるのか、私のように情報に疎い田舎の主婦でさえ新聞に出ている
被害者も加害者も「抵抗した」という点において供述は一致しているように思うんだけど、それはなんで無視?
つまり、「セックスは拒否した」「セックスは拒否された」、
本当にセックスが成立したかどうかはもう「藪の中」でしかないけど
その「抵抗した」「抵抗された」という両者が一致させた「真実」からどうして目を背けるんだろう。
そんなに「子供」をセックスの対象として正当化したいか、「中学生」はまだ義務教育中の「子供」であるの「意識」がないか。
米兵は曲がりなりにも「軍人」だ、他国であっても国家機関の重要な部門の一担い手だ。
「力」を背景にした存在であるが故にもっと慎重で「まとも」な感覚の人間であるべきではないのか?
こんないやがる「子供」を性の対象に選んだような人間がいる軍隊に「守って欲しい」と、私はとても思えない。
本当に、沖縄他米軍が寄港したり駐留したりする地域にお住まいの皆さんに申し訳ないとしかいいようもない。
愛蔵太君はlovelove米兵、米軍、なんだろう、日本の「女子中学生」なんてどうなってもいいってこと?本当に「日本人」?
子供であっても「抵抗した」ことを、なんで「賞賛」しないのか、私はこの子は立派な「大和撫子の卵」だと心から思う。
「日本人」の「子供」に対して振るわれた「暴力」になんでこうも冷ややかなのか。ちょっと理解できない。
ネットをするまで私は「産経新聞」なんてものがこの世に存在することすら知らなかったんだけど、
まあここの「クオリティー」の香ばしさと来たら、本当に「新聞」なのか?と、新聞の「概念」まで覆りそうだ。
「はなさんのポリログ」のひどさにはこのあいだ同じ事件を取り上げたものを初めて読んで驚愕した、
「しつけ」!!!!!!!!!!!
「抵抗した」って言うんだったら十分「しつけ」られてたってことじゃないのか?
「抵抗」しないで連れ去った相手の言うなりになるのが大和撫子の「しつけ」なのか?
これでどこが「保守」?
単なる少女性愛を正当化したい変質者ってことじゃないのか?
まともに話をすれば、「しつけ」が「子供」に「有効である」の考えは
子供が「言葉の力」に「弱い」すぐ「影響される」ということで、だからこそ、言葉巧みな米兵を「子供」が「信用した」が成り立つ。
例えば「子供」に片言の日本語で「ワタシハサビシイ、オハナシ、シタイダケ」と言われたら、
なんだか「カワイソーかも」と、つい思ってしまうのが「子供」であるゆえんだ。
かつて、南米人に声をかけられて返事をしたばっかりに無惨にも殺されてしまった小学生女子児童がいた。
あれも「しつけ」がなってなかったのか?違うだろう、親切だったんだ、「子供」だから「やさしかった」んだよ。
いい年の大人になってゆがんだ人間に「子供」の「やさしさ」はわからない、わかるのは自分の、自分に対する「やさしさ」だけ。
「しつけ絶対主義者」であるのなら気がつくべきだ、子供がどんなに「言葉」に敏感であるのか、
「そっとしておいて欲しい」と言った子供に、「言葉」の「暴力」がどれほど振るわれたのか、
自分が書いた「振り回された」の言葉がどれほど「子供」を傷つけるか、それを「しつけ」とでもうそぶくのか。
うそぶくんでしょうね、子供への「暴力」をなんとか正当化しようとしてるみたいだもの。
「しつけ」という言葉も「暴力」、しかも愛蔵太君はたった14歳の「子供」のからだを「調べろ」と書く。
14歳の「子供」が産婦人科系の「検査」なんて受けたら一生消えない「心の傷」になる。
いい大人がそんなことも「わからない」、
私はかつて愛蔵太君を「タマネギ男2号」と名付けたが、そこに「芯から腐った」タマネギ、と付け加えさえてもらう。
花岡某に関してはもう2度とこの人の名前も見たくない。
沖縄のたった14歳の「子供」に対して振るわれた現実的な「暴力」、また様々な「言葉」の「暴力」、
同じ年の子供を持つ母親として、ただただ悲しいだけだ。
「そっとしておいて欲しい」、私も、ごめんね。
追記;途中、勢い余って「日本人」の「大和撫子」のと、
   沖縄にお住まいの方がひょっとしたらお気を悪くするような言葉を使いましたが、他意はありません。
   同じ時代に、同じ「くに」に住む人間として、の意識で書きました。
   不注意ですみません。ごめんなさい。