教育広告。

先日、河合塾の一面広告のお下劣さに辟易とした人は多いだろうが、私はうちの娘が「やな感じ」と発見するまで気がつかなかった。
あんなに大きな広告なのになあ、、「そんなのかんけーねー!」でしかないからな。
それよりも器のちっちゃな私をがりっとさせるのは四谷が出してる小さな広告、「なんで私が京大(東大バージョンもあり)に?」
馬鹿面晒してる広告のわかぞーにむかって「親にお金があるからとちゃーう?」心の底から叫びたくなる、
こんな愚劣な広告ってないよ、こんなにそこを利用する子供達をばかにしている広告も珍しいんじゃないか、
うちが愛用しているZ会が何年か流してた「小学生からZ会〜、東大、京大、阪大、、、」ってのも相当いやらしいが、
あそこまでみもふたもないとかえって笑える。
ちなみにZ会の小学生講座はこの1年ぐらい前に新設された「中学受験コース」はどうか知らないが、
一般コースはわざわざやらせなくても、と何年も下の娘にさせてた私が言いますよ。
教科書準拠のワークブックよりも内容が簡単すぎるのは公立教育をZ会はちょっとなめすぎ、
まだベネッセの方が幼児講座からの流れで公立校親が何を求めているかデータが豊富な気も。
多分Z会の考え方としては小学校時代は「のびのび遊べ」で、Z会らしさが出るのはせいぜい中学講座からだろう。
Z会の小学生講座で良かったのは親向けの小冊子が面白かったこと、
小学1年から数年ベネッセを上の子にやらせたがZ会の小冊子ほどは親向けの読みものがなかった気がする。
(10年近く前だから今は変わってるかも)
Z会を選ぶ親に熱心すぎる傾向があるからかもしれないな、教育は「ゆったりと」、がその読み物のコンセプトだった。
私がベネッセをやめてZ会にかえたのは教材と称する「おもちゃ」がベネッセには多すぎるように感じたこと、
Z会はそれがなかったので選んだ。あの手のおもちゃは片付かんからねー、、、(涙)
話がすっかりずれたがとにかくあの「四谷」の広告、「なんで私が京大に?」って、あーそーかよ、じゃあ行くなよ、
「なんで」って思う時点でついていけないんじゃないか、う゛ぁーか、と心の底からなじっちゃうね、
「なんで?」って行きたかったからじゃないのか、そこに行くために努力したからじゃないのか、
そういう「努力」みたいなものを全て無視して、まるで宝くじにでも当たったみたいな、何かを勘違いしているような、
勉学とかそういうものに対す畏敬の念がまるで欠けてるような、そういう「都合のいい」言い回しというか、
そんなんでいいのかー!と、叫びたい、なんのために勉強しているのか!と。
私は腹が立つから見なきゃいいのに、最近ネットでよくある「東大を攻略する方法」みたいな、
妙にお受験熱心な、でも決して自分は帝大出身者ではない父親の書く「受験クリア」の「テクニック」あれこれを
つい読みふけってしまって、特に嫌いなところは受験系某有名ブログ(多分制作者は帝大入学)と何かでもめたらしくて、
そこをなんとか貶めたい、そういう気持ちをむき出しにして「お受験」法をとくとくと書く、
こういう人間を増長させるのが「なんで?」なんて白々しい広告のようで「がりがり」来る。
旧帝大入るなんてたいしたことない」「こうすれば簡単に攻略できる」「白チャートをうまくつかえば」
大学にはいるって一体何を意味するのか、したい勉強があるからじゃないのか、
どこの大学であってもちゃんと勉強する、これからはそういう時代じゃないのか。それがかけらほどもわかってない。
昔から旧帝大にはいるのに「テクニック」的なものが必要なのは常識だが、ここまで「テクニック」を持ち上げる風潮も珍しいと思う。
「なんで?」という広告はいかにも「そのテクニック、(高額で)売ります」で、この広告を見てここを選ぶ親はどうかしている。
「なんで京大?」だの「東大」だの、このブランド志向のいやらしさを隠すような、そういう広告をうつ四谷、
これから私の「敵」と見なす。河合はまだマシ。(つか、好きにしろって感じ)
忘れないうちに真面目に受験記を書き残そう。
「帝大攻略法」なんて、受験する子供を持つ親がそんな「ゲーム感覚」で子供と向き合うのでは全然駄目だと思う。
子供のお勉強と四苦八苦するのも、親として子供への関わり方のある意味「正しさ」だ。
私がいかに迷走したか、「なんで?」と薄笑いを浮かべた奴よりは私の方が大真面目な分だけ「マシ」(と、断言)
見なきゃいいものを見るな、と人には勧めておきながら、また「子供は公立に預けるな」なんつー小さな新聞広告が私の目にはいる。
誰?この「和田秀樹」って。「野田秀樹」のパチモンかぁーっ!!!