観察記録(その2)

上の子が幼稚園児だった頃に「お受験」なるものが「一般化」(?)されて、「社会現象」にもなったが
転勤していた時期だったのでそれほど関わりを持っていない。
同じくはやったのが「幼児教育」「早期教育」で、私のようにのんべんだらりと子供時代を過ごした人間には
「なンじゃ?こりゃあ」な内容のものを子供に延々とさせている人がちらほらいた。
ベネッセが本格的に幼児教育に取り組みだしたのもこの時期だったと思う。
「早くやれば勉強が出来るようになる」が「早期教育」の親側の受け止め方であったような。
私の知っているのは「七田式」くらいだが、やらせた人に聞くと相当「向き、不向き」がある気がした。
早期教育の弊害はすでにあれこれ取り上げられているが、よい面もあるだろうから、
「むかなければやめさせる」の「冷静」を持つ人は子供にやらせてもいいんじゃないかな。
ただ、私の知る限り、やらせて格別「よかった」と言う人はあまり多くいない。
幼稚園時代に熱心に「早期教育」をさせていた人の子供は、私立小学校に入学したにもかかわらず
中学からそこを「リタイア」している人が少なからず存在する。
また、「中学受験」組が地元の高校に帰ってきたのをこの度の受験で確認して少々驚いてもいる。
このことが何を意味するか、まだよくわからない。ただ、私と同世代の「親」に似た傾向を確認している。
一言で言えば「期待のしすぎ」だ、早期教育にせよ、私立校にせよ、自分の子供にせよ、過大な「期待」を押しつけている。
物事が期待通りになる、なんてことはめったにない、の認識がないかのようだ。
「幼児教育」のブームは子供が育ったため関わりはなく、今はその代わりに「勉強法」「テクニック」が目につくようになった。
もちろん私が「意識」をするからだ、それにしても次から次へ、まるでコマーシャルのように煽ってくる。
「幼児教育を「今」しておかないと、、」から、「受験のテクニックさえ知っていればあなたの子供も東大へ」まで、
この「教育」の「はやりすたれ」に見えるものを現実に子供を持つ側としてどう受け止めていいのか、未だに私はわからない。
子供が幼稚園時代から教育熱心な父親の話に戻れば、常識的なやり方を守ればどんな子でもそこそこの学力は身につくもので、
それを自分の教育「テクニック」のたまものだとか自分の子供は出来がいい、と信じ込んでしまったら、
子供にどのような影響が現れるのか、それが怖い。
自分の子供を自分の見たいようにみる、とは、ナルシスティックな行為で、これを押しつけられた子供側にどんな反動が出るのか。
また、思春期を迎える頃に、「机上の空論」である「お勉強テクニック」なんて
先日、お受験を終えたばかりの親から言わせてもらえば、全くの「無益」。
思考が入り組み始めている敏感な子供には、親の単純なアドバイスさえ「押しつけ」にしか見えない。
自分の子供の出来の悪さを一般化するな、と考えられるだろうが、受験前、どこでもほとんど同じ悩みを抱えている。
この時期の子供にどう対応できるか、が親の大きな課題なのだと思い知った。
そうあって欲しい子供の姿だけをとらえている父親の子供はどうなっていくのか、
まるで自動販売機にお金を入れたら当然のように缶が出てくるようにある種の「攻略法」を子供に「入力」すれば
必ず「結果」が現れるというわけではない、時期によっては「入力」を拒否される可能性が十分ある。
そこが勉強熱心な父親にはわかるかどうか、安易に「方法論」だけをとくとくと書くブログに感じる不快はここにある。