コメント拒否設定などしていませんので。

追記;「はてなユーザーのみコメント可」にしていたのですが、何故かはてなユーザーにもコメント欄が出なかったようです。
   私自身ではコメント欄は表示されていたので、別の人に指摘されるまでわかりませんでした。
   この点でのみ、エントリの内容の方にはお詫びを申し上げます。
   「はてな以外も可」にすると、ログアウトしてもコメント欄が「私のところからは」出るようになったので
   これ以上のことはもう出来ません。
   ブックマークコメントで教えてくださった方、どうもありがとうございました。 
「冷静」という言葉を用いてこちらを挑発する、「中立」「中庸の精神」をどういうわけか不特定多数に向けて披露したがる
決して「冷静」とは思われぬ御仁なので何を書いても無駄だろう。言葉の用い方が私同様、ご自分独特であると判断した。
それとは別に、私がこちら(http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20080218)で書いたことについて、もう少し詳しく書いておく。
私がこの世の中でもっとも憎んでいるものは「おためごかし」である。
「事実を認識した方がいい」だとか、「やさしい人が親身になって子供に忠告したときに」だとか、
この「自己愛」たっぷりな言葉の羅列には吐き気を催す。
匿名氏の「事実を認識した方が良い」とはその「事実」を「認識」して「誰」が「よく」なるのか?
私は「40歳」の、春には高校生と中学生の母になるような「おばはん」なので、まず米兵も声をかけることはないし、
二日前のエントリでも書いているように二人の娘達には「自己責任論」の大好きな人たちが言う「しつけ」もたっぷりしてある。
その上でどんな「事実」を認識した方が「良い」というんだろうか?
「やさしい」と称する人が被害にあった子供を指さして
「ああならないように気をつけなさい」と書く「事実」を子供に教えろとでも?
「自分と同じ立場にいる多くの人が自分とは違った考え方を持っているという事実を認識したほうが良い」
これは「母親」である私が、ある種の人の気に入らないことを書くから
「そんなことを書く母親だといつか子供が痛い目を見るぞ」と「脅して」るのではないか。
つまり批判の矛先を私の子供にも向けているわけだ、私はそれに反発している。
よく読ませてもらう日記の方は、子供時代にいやな思いをして、それを母親に言うと責められた、と
その母親は多分「自分はいつでも悪くない」としか考えられない人だったと私は感じている。
子供が性的(と思われる)被害にあった=これは私の「しつけが悪い」と他人から責められる=私は悪くない=子供が悪い、と
どうしようもない思考回路をたどって、一番かわいそうな子供を犠牲にした、弱い母親だと思う。
そんな弱い母親を追い詰めるのはなんなのか、私は間違いなく「事実を認識した方がいい」だの
「やさしい人が親身になって子供に忠告したとき」だの「妄想」を好きなだけ垂れ流す人達だと確信する。
その母親も、気の毒な人を巧みにさげすむような言い回しで自分を飾る言葉の魔力に憑かれてしまっていたように思う。
罪のない子供をいたわることが出来なかった不出来な人だ、自分と子供の首を絞めるようなことをしてしまった。
でも、その子供は育って、同じことを繰り返さなくなっている。
哀れな被害者を気の毒だと感じることが出来ている、狭い考え方しかできなかった母親の元で
悲しい思いをいくつもさせられたのに、母親とは別な考えを持つように成長している。素晴らしい事実だ。
どんな母親に育てられようと子供と母親とは別物だ。母親がどんな人間であれ子供はまともに育つ可能性は十二分にある。
私が例え「「自分と同じ立場にいる多くの人が自分とは違った考え方を持っているという事実を認識し」ていなくても、
それで私の子供が何らかの悪い影響を受ける、と思わない。「私」と「私の子供」は別な存在だ。
しかし、「多くの人が」「事実を認識した方がいい」などと、「おためごかし」で「母親」である私を非難しながら、
実は私の子供まで「母親の一部」として非難の手を伸ばしている、しかもその薄汚さに気がつかない。
「おためごかし」の「ため」は誰の「ため」でもない、「自分」の「ため」、その「事実を認識した方が良い」とあえて書いておこう。
私はぼかした書き方で私の子供を攻撃してきたと感じられる人間に対して「喧嘩」という言葉を用いて反応したのだ。
あのエントリは、私の子供を攻撃してきたと思われたため、他の何のためでもない、私はそういう意識で書いている。
親としてどうあるべきかは、自分は「中立である」とのアピールをしつつ、何故か、別な意見を持つ人間に
不必要に「残念だ」とか「冷静な」という言葉で見下す人が考える以上に私は常に考えている。
(しかも私が「コメント拒否している」と書くとは!)
それでも子供がまだ子供であるが故に、不幸な偶然が重なり合って悲劇を生むとも感じている。
この現実はどれほど言葉を重ねようと、わからない人にはわからないだろう、
こどもの悲劇を例にとって「私は自衛できた」と匿名で書く、その無意味さを指摘されたら「別な子供への注意喚起を呼びかけた」
子供はまず間違いなくこんなところは読まない、と書けば「注意を呼びかけることが悪いことか」と
どちらが「ナイーブ」であるのか、「善悪」の両極端を作りたがるのか、逃げることなくそれだけでも考えてみてはいかがか。
もうこれ以上の言葉は何もない。
母親と子供の立場を思いやれる立場の人もいるのだとネットで読むことが出来るのは幸いだ。
トラックバックをいただいた中でもっとも励まされたのがこちら(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080216/p2)だった。
実際におこってしまった悲劇に対して、冷静な対応が出来るのは悲劇を悲劇として受け止められる人だけだろう。
その存在に、弱い母親でしかない私は希望を覚える。
別なブックマークなどで色々と考えさせられたことは多かった。いずれ、書き留めておこうと思う。
追記;コメント拒否をしているとのトラックバックをもらっていますが、コメントは拒否していません。
    何度か試してみては?「はてな」の問題である場合が多いですよ。
    それとも単に「コメント拒否をする人間だ」との印象操作をしているのなら、それはそれでかまいませんが。
    私はコメントを承認制に出来るほどはてなに詳しくありません。
    この人を一度も相手にしたいと思ったことはないので「壮大な釣り」をしているのはこの方でしょうね。
    「コメント拒否している」など、「嘘」を書く時点で「必死に」「釣り」してるって感じですね。