なんか変だ。

奈良県の母子放火殺人事件を巡る供述調書漏出事件で
少年の精神鑑定をした医師が逮捕されたことについてずっと納得できないでいる。
この取材された側が逮捕されたのに対し、取材した側、および出版社に逮捕者は出ていないようだ。
確かに医師には「守秘義務」がある。執筆者の取材を受けるのは軽率だったかもしれない。
しかし、医師は弁護士に「長男は殺人者、という誤解を解きたかった」と語っているらしい。
この逮捕された鑑定医の方は確か犯人の少年の父親とほぼ同世代だったように思う。
同じ年頃の子供がいたりして身につまされたところがあったんじゃないだろうか?
私もこの事件のことはよく覚えている。中学3年の上の子とほとんど年の変わらない少年が起こした「悲劇」だ。
はっきり書いておくがもちろん、火事で亡くなった母子3人のことを心から気の毒だと思っている。
ただ、このたった15かそこらの少年が送ってきた生活はあまりにも哀れだったと考えずにはいられない。
ちらりと読んだのに、母親の違う亡くなった弟妹のことも可愛がっていたと近所の話がある。
中学や高校の男子が、年の離れた弟妹を「仲がいい」と見られるほど面倒を見るなど
私はこれだけでも「おかしい」と思う。この年頃の男の子とは心の中でどう思っていたとしても
小さな子供と一緒にいるところなど、恥ずかしがってあまり人に見られないようにするものだ。
私はこの話で少年が、両親や弟妹に気を遣って生活をしていたんじゃないか、と思ってしまった。
日々の暮らしも耐えに耐えて、勉強も父親に見捨てられないように、必死になってやってきたんじゃないだろうか。
その努力に父親は全く気がつかなかったのだろう、
新しく母親になった人にしても自分の子供がまだ小さいうちはなかなかそういった心配りまで出来なかったのだと思う。
しかもこの時期の子供は、特に男の子は、自分の気持ちをなかなか外に出さない。
また子供というのは大人が思うよりも遙かに我慢強い。よくこんなことを黙って我慢した、というようなことに耐えていたりする。
もちろん経験不足のせいだ、それが「悲惨」であることすら知らない子供というのは存在する。
「悲惨」も学習しなければわからない。
犯人の少年の忍耐も限界が来ていたのだろう、
もうどうなってもいい、家なんか焼けてしまえばいい、家が火事になればもう勉強なんかしないですむ、
自分が家出したこともしばらく気がつかれないかもしれない、と、少年は考えたんじゃないか?
私はこの少年が母親や弟妹が死ぬことを予想していたようには思えない。
ここまで被害が大きくなるとは思わなかった、と信じたい。
ローカルニュースではこの少年が発見された家の人の話が放映されて
「賞味期限の切れたものはゴミ箱に捨ててあった」「賞味期限の切れていないものを食べてあった」と話していた。
ふらふらと見知らぬ家に上がり込んでも無意識に賞味期限を確かめてしまうほどしつけが行き届いている。
私はその話に涙が出た。
鑑定医の話に戻せば、彼はこの少年を母親や幼い弟妹に平気で焼き殺す「モンスター」のように扱わせたくなかったのだと思う。
単なる家庭の悲劇だと、取材者にわかってもらいたかった一心で「守秘義務違反」を行い、
取材者が慎重に情報を扱ってくれると信用していたと推測する。
出版される認識があっても「詳細に引用されたのは予想外だった」ともちろん逮捕された弁明に過ぎないのかもしれないが
私はあまりに執筆者のずさんさに腹が立つ。こんな、みすみす良心的な情報提供者「だけ」を逮捕させて
自分と出版社は「取材源秘匿」「表現の自由」の「盾」に隠れようとしている、私にはそうとしか見えない。
まるで見せしめのように医師を「逮捕」した警察にも腹が立つが、
取材者は、こんなことにならないようにもっと配慮ある書き方は出来なかったのか、
ニュースの衝撃が薄らぐ前に、と緻密な編集チェックをせずに本の出版を急いだんじゃないのか。「売らんかな」の精神で。
「僕はパパを殺すことに決めた」の著者であり取材者である草薙厚子氏が今までどのように優れた仕事をしていたとしても
私はこの人の本は読まない。こんな扇情的なタイトルをつけたことすら許し難く思える。
表現の自由」は守られるべきだ、もちろん「知る権利」も、「取材源秘匿」も。
でも、取材者が、その「自由」「権利」を自分たち「だけ」のために振りかざすばかりではなんの意味もない。
この悲劇に直接かかわった誰1人「守れ」ていない、犯人の少年もその父親も、親身になって少年に接した医師も。
なんのための「取材」なのか、「ジャーナリズム」なのか。
私はこの事件の取材者や出版社に一方的な「独善」のにおいを感じ取る。
それから、この件の鑑定医を逮捕しただけじゃなく、もう手の尽くしようがなかった妊婦を救おうと
必死に働いた医師を相変わらず罪に問おうとする奈良の警察関係者達にも、私は憎しみさえ感じる。
「正しさ」ってなんなんだろう、「罪」ってなんなんだろう、「ジャーナリズム」が教えてくれるとはもう思えない。
「放火」や「守秘義務違反」や、悪いことは悪いことだ。
でも鑑定医や犯人の少年やその父親は取材者や出版社のずさんなやっつけ仕事の犠牲者のように思われてならない。