雑記。

昨日の鑑定医の人の話は数日前の新聞記事を読んで、むかっと来たのでつい書いたが、
よく考えてみれば、「独善」という点においては「守秘義務違反」をした医師も同類なのかもしれない。
最近、新聞記事も数日まとめて読んでいる。
その中に他の鑑定医のシンポジウムで今回の事件も取り上げられていて、
「調書の漏出が頻繁に起これば少年達は何もかもしゃべってくれなくなるかもしれない」とか「調書だけが真実ではない」
と納得できる意見もあったので、今回の鑑定医の方の逮捕もやむなるかな、と思う。
でも、本の出版が早すぎる印象があって、待って落ち着いて情報を拾い出せるようになってから
真実に近い形を出されたら良かったのに、と思う。
なんにしても、やはり取材者や出版社はずさんだと考える気持ちにかわりはない。
子供の気持ちを親がどの程度わかるか、これは親には本当にさっぱりわからない。
さっぱりわからないからわからない、ということだけわかっていればいいか、と思うところもあれば
いや、やはりわかるように出来る限り努力をするべきか、と考えたり、日々、悩んでばかりだ。(ほんまか?)
自分の子供時代を思えば、そんなに親に理解されたいと思っていただろうかと、
あきらめていたような、そのくせやはりわかってもらえたらうれしかったっだろう、とか、
もう、あの頃の私の気持ちもわからない。親になってしまうとそうならざるをえないところもある。
私が気の毒に思うのは少年の父親で、焼死した母子の夫でまた父親である人なのに
ずいぶんとひどい扱いをされたと思う。確かに責めるに十分すぎる部分はある。
義理の母親とその子供達がいる家庭は珍しくないかもしれないが、
やはり本人にとっては何となく居心地が悪いんじゃないか、その上で勉強まで父親から強制されては少年に逃げ道がない。
この少年の逃げ場になれるような実の母親の祖父母はいなかったんだろうか。
義理の母親の祖父母は少年にとっては赤の他人だ。幼い弟妹は屈託なく祖父母に甘えても
少年には出来るはずがない。状況を考えると、勉強でまで実の父親からプレッシャーをかけられては
家の中のものを少々壊すぐらいのことをしてもおかしくないような、それが結局「放火」というものに繋がった気がする。
そういえばこのあいだ友達と電話で話していて、上の子が荒れていて気に入らないことがあると
家の中のものを壊されると聞かされ、ちょっとびっくりした。
そこはうちと同じく二人姉妹で、面と向かって今までそんな話を聞いたことがなかったのだけれど、
電話だから出てしまったのか、といってそうそう深刻な事態でもなく、まだ母親である友達が私に電話でも
そういうことを話す分だけ、心配するほどのことでもない、と私は見ている。
私が物事をぬるく受け止めるたちなので、深刻であっても話してくれるのかもしれないが。
成績が下がったこともなく普通に学校に行ってるのだし、家の中も窓ガラスが割れるとか、荒れ果てた状態でもないので、
一時期の精神の不安定が数度コップを思わず倒して壊した程度じゃないかと、
そうあって欲しいと私が思ってるだけなのかな。
私だって子供に目の前で腹立ち紛れにコップでも割られようものなら友達に電話でこぼさずにはいられない。
うちの子の場合、我慢に我慢を重ねるタイプなので、いっそそんな風に外に向けて発散してくれた方が、、と願う。
ないと思うが、ひょっとして、、はいつも私は考えてしまう。自分が「親」であるということに自信がない。
自信がないままでいいのか?と思ったり、といって信念を持って「勉強させるべき!」と迫って子供を壊してしまっても、と
どの程度までは許されて、どこから先はいけないのか、こればかりは親にも子供にも実のところ周りの人間にもわからない。
放火事件の少年の父親の場合も、彼は事件後息子を見捨てたわけではないのだから、私はそこに救いを見出す。
極端な例であっても「親」であるという共通点から事件を身近に感じずにはいられない。
なんだかだらだらと、結局、私は「親」であることの言い訳ばかりしているような気がする。
親であることをまともに受け入れてくれないような世の中だもの、、
とか思っていたら、昨日ついたブクマから後藤和智君の草薙氏評を読む。
やっぱり後藤君はいいなあ、納得した。草薙さんはつっこみどころ満載の人のようだ。
「脅迫的育児言説」というのに大いにうなずく、そう、それって感じ。
確かに読んでからつっこんだ方がいいのかも。でも、これだけむかの入る世界であえて腹の立つ本を読むのもなあ、、
ところで「専業主婦」が自民党支持、って本当なのか?
類友」で周りにいないのは確かかもしれないが、それはやっぱり違うと思う。ある一定層の自民信仰はわかるけど。