コメントしました。

長く書かれていたkechackさんの農業エントリが非常に興味深かったのでついコメントしてしまう。
(丁寧なお答えありがとうございました。)
地方は、もっと農業に力を入れて都会のニーズに合わせて、、と、ずっとやってきているけど、
「より安く、よりよいものを!」は限度がある。
なんだかんだいって農業は手間のかかる部分もあるからそういう「人件費」を削ることになって中国人研修生を使うことになる。
私の母方の実家があるど田舎に、「ええっ、ここで、なんの研修?」といいたくなるような中国人研修生が来てたりする。
最近はあまりの時給の低さが問題になって来てくれなくなったようだけど。
本当に日本の農業は絶滅危惧種の認定を受けてもいいのかもしれない。
地産地消」が叫ばれたり、遠くのものを輸送して食べるのは「エコ」じゃない、とか子供が時々学校から
そんなことが書かれたパンフレットを持って帰ってきたりして、政府としては色々啓蒙活動にいそしんでるみたいだ。
現在中学3年の上の子は初めて通った小学校が農業地区で近所の有志の方が特別にお米を寄付してくれていたので
いつもおいしいお米が食べられた。彼女は今住んでいる県庁所在地に帰ってきて同じ学校給食なのに
そのお米のまずさに驚いたそうだ。「臭い」と一言、米飯は週2回だがみんな残すそう。
これは「古米」なんじゃないか、政府の備蓄米を放出されてるんじゃないか、と考えたりする。
「新しいうちにおいしくいただく」ことが、なかなか出来ないんだよね、「旬」のものを利用する、もね。
最近は「野菜ソムリエ」や「ベジタブルマイスター」という資格があるらしくて、
「野菜ソムリエ」のパンフレットを少し読んだけど「なんでこんな当たり前のことを?」みたいな、
確かに農家や野菜のことや色々知らない都会の人が多いんだと思う。
私自身も実は転勤について行って住んでみるまで農家のことはほとんど知らなかった。
稲作の盛んな地域に住んだんで忙しさに波があるのを知った。
(ちなみにこの学校は収穫の忙しい時期、小学校高学年は休んでもかまわないことになってた、すごく驚いた)
人や土地のしがらみが多くて批判される部分も確かにあるけど、保護されるべき点もやはりある。
日本の上質なお米が海外に出て、安い海外米しか口にできなくても本当にいいのかな。
海外米が必ずしもまずいことはないんだろうけれど。
高知に住んでたとき、タクシーの運転手さんから
「徳谷や薊野の本当においしいトマトは高知には出回らない」と聞いたことがある。
「おいしいものは飛行機で東京や大阪に行く」と、高級料亭で一個3000円くらいの値段がつくんだそう、(本当?)
「高知には高いトマト買う人がおらんき(=いない、確かこう言う)」と、
地方の貧しさはそこでとれた上質の野菜が買えないほどだ。
といって、スーパーに行けば「薊野」や「徳谷」の名前のトマトもあったけど。(10年近く前の話)
でも、確か大坂の大きな料亭でどちらかのトマトを食べたとき、全然味が違ってた。驚くほど甘かった。
なんにもしてない、ただきれいに切っただけで出されたものなのに。
高知では月曜日以外あちらこちらに「市」が立っていてそこで日常の買い物をする人が多かった。
大橋通の日曜市は観光客向けで高いけど(でも都会から来る人には安いかな?)
ごくふつうに取れたてのちりめんじゃこや「メスレー」と呼ばれるスモモを欲しいだけ量り売りで買うのは
とても楽しかった。そういう「豊かさ」が地方にはまだある。
一方で地方のスーパーは最近野菜が高いから売れないんだそう、それがまた色々な形で跳ね返ってくるんだろう。
ほどほどに、おいしいものが手にはいるように出来たらいいのにね。
農業にみんなが関心をそれほど持たないのは本当に私も残念だ。
農家のいやな部分も確かにあるんで、そういうのをどうにか出来たらいいのになあ、、