あほ話。

「見た目重視」で思い出した話を。
だいぶ前に貧乏な家庭出身だという麻生久美子の告白が話題になっていて、どこだったかの日記で
「あんなにきれいな人がなあ、、」としみじみコメント欄で語り合ってたので笑えた。
「美人はみんなお金持ちなのか、ぶすはみんなビンボーか」とうちのダーリンに話すと
ダーリンが真面目な顔で「そうだ」と、私は驚愕した。
「じゃ、倖田來未が貧乏なおうち出身だったらどうよ?」「それは心から納得」「そんなのわからんでしょ」
「いや、いかにもビンボそうだ、ぼくにはわかる」こ、こ、この差別意識!ほんま、腰を抜かしそうになったわ。
ダーリン曰く、「麻生久美子のような美人が貧乏なんてのは信じられない、の気持ちはよくわかる」
「美人が貧乏でも、きっと3代前はお金持ちで「今は」運がなくてたまたま貧乏、みたいな気がする」
なんじゃ、その妄想は、悪いもんでも食ったか?と思ったが食わせてるのは私だ、納得。(違う)
「美人はお金持ちに見初められてまた必ず貧乏じゃなくなる、でもぶすはそれがない」
「故に美人が貧乏でもそれは「たまたま」、やはりぶすは貧乏」と、まー、こんな鬼畜と私は結婚してましたか。
もしダーリンがこんなことを自分の日記に書いたら炎上でしょうな、でもあんまりあきれたんで書かせてもらいますよ。
「ぶすの」「美人の」、基準はともかくとして、男性の「美人」には相当「ファンタジー」=「妄想」が入るんじゃないか、
美人でもぶすでもその「背景」みたいな、男性は女性よりも遙かに「ロマンチック」というのは理解するが
「美人と結婚したい」というのは意外にその「背景」も手に入れたい、の気持ちがあるような、
「お金持ちな美人」と結婚できる俺、って、自分の「成功の証」でもあるだろうが、女性の「玉の輿願望」に共通するところがないか?
また「美人だけど貧乏」な女性に萌えるのも今はたまたま「貧乏」な、実は「良家の子女」である女性が
不運にも惨めな境遇に追いやられ、それを救い出す「王子様」な俺、って「幻想」があるのかも。
麻生久美子のビンボー話に本当に驚きましたかね?私はそーなんだー、としか思わなかったですな。
何故か「関西出身?」と思ったりね。倖田來未がしみじみ気の毒になってしまった。
彼女が叩かれた理由の一つにこういう見方もあるのかな、と思っちゃったな、
でも私がつい「倖田來未」を出すあたりも嫌らしい、と思いつつ、ほぼ同時期に話題になってた気がしたんで、
特に倖田來未に恨みはないです。あんなに叩かれんでも、と今もちょっと思います。でも羊水は腐りません。
ダーリンの問題発言はどこまでが本気かよくわからない、でも私は相当ショックだったんで、書いて残す。
麻生久美子は美人である以前にいい女優さんだと、そういう見方はしないのかねえ、、、
ま、こんなことを言う配偶者に結構がっかりしたです。