雑記。

ふと見たところが「自分の子供なんて欲しくない」と書いていて、「むか」がはいる。
自分でも「ジェンダー差別」だとわかってるんですが、この手のことを言う「女」は許せても「男」は許せん!となってしまう。
子供を「作る」のは男女二人でも、「産む」のは女1人でやることだからだろうな。
いくらそばで手を握ってくれようが後ろで励ましてくれようが痛いモンは痛い、
「あたし1人だけがこんなに痛いぃー!」なんて腹が立った。でも子供達は元気に育ちました。(多分)
私は欲しくない人の子供を産む気はないな、死ぬかもしれない可能性をそんな相手とはくぐり抜けられない。
この人は健康なんだろう、死ぬような思いをしたこともなく、それでどこかが鈍感になってるような気がした。
とりあえず、パートナーは大切にしろ、出来れば子供は作るな、とこがいの兄ちゃんと私は考え方が違う。
こがいの兄ちゃんになんか言われただけで考えが変わりそう、みたいな、なんとも情けない人やねえ。
パートナーの女性を尊敬する。私はあかん、こういう人。踏む、踏んでなかったことにする。
「相手が産みたがってるしー」なんて、へたれじゃ、へたれの言うことじゃ。
ああっ、久々に腹が立ったぞ、私は腹が立つと元気になる。これぞ「パワー」の源、「むか」マンセー!(死語か)
子供ネタで思い出したが倖田來未の発言が結構な事件になったみたいで、あちこちで取り上げられてた。
私の感想はアホな若い子が言いそうなことやなー、で、これが反響を呼ぶとは思わなかった。
「腐る」って言葉が悪かったのかね、なんだか消費期限切れの食品偽装を思い出させる。(この発想は私だけか)
とあるところのリンクから「とんでも科学」と戦う菊池先生のブログにたどりついて、
菊池先生は倖田來未の発言を「想像力のなさ」と書かれていてふーむ、と思った。
先生は「水伝」にはまる人にも想像力が欠けているように考えられていて、なるほどあれは「妄想力」か、と納得。
あふれんばかりの「想像力」で「水」から「伝言」を受け取るのか、と漠然と考えてた。
「水」は「水」であって「水」以外なに「モノ」でもない、
ましてやそれに「道徳」を教わろうなんて「発想」がこの世に存在しようとは、今でも不思議だ。
これは私に「想像力」がないせいかと思ってたけど、そうでもなさそうなんでちょっと安心。
昨日、子供の主治医を罵倒する親について考えて、これも相手(=医師)が「ひと」であるという「想像力」が欠けてるってことか、
もっとも医者を「神」か「悪魔」であるかのごとく思うとは、どちらにせよ「ひと」ではないんで、
相手に「感情」なんてない、と考えているのか。自分以外の人間は「ひと」ではないってことかな?
でも明らかに「ひと」ではない「水」になら「道徳」が教われるのかも。
むぅぅ、「妄想力」、侮り難し!(ちがう)
「セックスはするけど、自分の子供は欲しくない」と言われたら、相手がどんなに悲しむか、
それがわからない人間も「想像力」がない気がする。
「自分がイヤだから自分の子供なんていらない」と相手もそう思ってるんだったら定期的にセックスなんてしないのにね。
と、私は思うが、そう思わない人間もいるのかも、、、ここが私の「想像力」の限界。難しいす、、、