白熊さんを読んだ。

「医者は神様か、悪魔か」(かなり意訳)の意見を読んで、なるほどなあ、と思う。
この「2者択一」方式が一体いつから始まったのか、「わかりやすい」政治をした小泉首相時代からなのかな。
あの人はいつも「白か、黒か」で、「白」や「黒」以外の色もあるだろうがぁ!は許さない。
これがなんであんなに大受けしたんだろう、今でも不思議だ。
先日も「暮らしの手帖」のバックナンバーを読んでいたら、子供が小さい頃よく(本で)お世話になった細谷亮太先生が
「先日、病棟に入院した肺炎の二歳の子の親が受け持ちの研修医を
「てめえ、一体直す気あんのかよ。バカヤロー」と怒鳴りつけると言うことがありました」と書いていて、
あらま、聖路加国際病院でもそんなことがありますか、と驚いた。
もうちょっと良家の方々が通われる病院かと思っておりました。(良家の方が言ったのかもしれませんが)
子供のことが関わっているから「キレ」た、はわかるけど、こんなこと言ったら、
治る病気も治してもらえなくなるような気がして、私にはとても思いつかない。この言葉が出る「発想」がわからない。
相手のご機嫌を損ねれば、相手がどう出るかわからない、ましてや、病気の子供が人質だ、
「先生、お願いします!」と涙目ですがりつく発想はあるんだけどな。
こういう人は失礼なことを言っても「医者だから直すのが当たり前だろう?」の「甘え」があるのかね、
もし「甘え」だったらとしたらそれはどこで醸造されたんだろう。
そこまで「甘やかし」てくれたところを教えて欲しいわぁ、、(遠い目)、世間は常に厳しいというのに。
やはり「医者は神様のはず」で、「何を言っても怒らない」と思ってるのかな。そんなわけないじゃん。
神様だって、御利益は「貢ぎ物次第」だったりするんだから、その辺のことはちゃんと考えないとね。(なんちゃって)
それよりも、むしろ私は極端な「自己愛」がこういう罵言行動に出るんじゃないのか、と考えたり。
「子供のために最高の医療を求めているかっこいい私」みたいな、「ミスしたらすぐわかる賢い俺様」みたいな、
医師を怒鳴りつけることで、何らかの高揚感とか、
「世間でえらいと思われてるかもしれないけど、そう言う人間を怒鳴りつけることが出来る素晴らしい自分」が
お手軽に演出できる。学校でも先生に文句を言っている人にどことなく「ますたべ」っぽいものを感じるんでうんざりする。
1人そんな人がいると他の大勢の保護者が困る。正当な理由で学校に文句を言っても同じ扱いをされるし。
いつから他人に「不寛容」であることで、自分のプライドを満足させようとし始めたのか、
「理想」を求める姿勢が「絶対にミスは許さない!」ならば、
例えば子供の担当医に罵声を放つような親は親であることそのものが「ミス」じゃないのか。
自分自身が「ミス」の全くない人間であるかどうか考えたら、なかなか相手に文句は言えないもんだが、
その発想はないんだろうなあ、、多分、自分にミスはない、と思いこんでる。
自分の非を認めないのも「不寛容」といえるだろう、そんなに「完璧」でありたいか。
「完璧」や「完全」な世界が私は怖い。
ミスはいつでも当たり前にある、でもそれに十分対応できる世界ならそれでいいんじゃないか。
「完全をこんなにも求めている姿」を見せびらかすことで失われていってるものって多いよな、学校でも、病院でも。
なんだかいろんな意味で情けなくなった。