支離滅裂。

私が子供のお受験で悶々しているときに、何か騒ぎでもあったのか、お借りしているブックマークを読んでさらに悶々。
ネットには「書く自由」があると同時に「読まない自由」もあるものだと、
ブクマを読む限り「18禁」になっているらしい日記はネット上では永遠に「13歳」の私はあえて遠ざけたりして
うっかり読んだ場合は陰でこそこそ「私見」を「日記」につづる、これは許されてもいいと思います。(なんのこっちゃ)
お勉強のために読ませていただいている日記の方々はよく「左翼」呼ばわりされてお怒り(?)になられているのを
見かけるが、私はネット上で「左翼」というのは「ほめ言葉」かと思ってました。
「いやー、どうもありがとう、きみと全く別の性向であることを認めてくれて」と、握手したくなるようなアホな相手から
「ぶさよく」よばわりされてひそかに喜んだりして。
「同じ穴の狢」と言うけれど同じアホでもきみとだけは同じ穴に入りたくない、みたいな。
ブルドーザーで穴を掘りたい、モグラたたきのモグラになりたい、時々、叩かれてもまたあちこちから顔を出す、
マカロニほうれん荘」の「きんどーさん」みたいにうひょひょひょひょ、とかいいながら飛び回りたい。
やや、感覚が壊れかけ。いつものことか。
ネットでは、理屈にあったことを書くと「左翼」呼ばわりされるように思われる。
それだけネットにまともな意見が少ないんじゃないのかな、
このあいだ「とんでも」を山のように「ネット」で見まくった私はしみじみ感じた。
「とんでも」を検索し続けると「政治系」ブログにたどり着いて、何故「とんでも」は極端な政治志向と仲がいいのか不思議だ。
久々に「ネット右翼」系ブログを読みふけって、私がこのてが嫌いな理由がよくわかった。
「ワシもアホだが」って視点が完全に抜けてるんだよな、
「私は絶対に正しい!」と、何かを罵れば、決して罵る側がよく見えることはないのに、それがわからない、
その完全なる「自己愛」がやだな、と、「やだな」と思う、さらなる私の「自己愛」もやだな、と、複雑だ。
「自己愛」なんて自分の分だけでおなかいっぱいってことなんでしょう。他人のぶんまでは受け付けられない。
「馬鹿にされる」のと自分が「馬鹿である」のとどちらがイヤか、と言えば、私は自分が馬鹿なのをわかりつつも
それをただそうとしない開き直る自分がイヤだな、と、そーゆー「馬鹿」な部分も含めて私なんだよぅ、なんちゃって。
ネットの「中2」を下から突き上げる中1、13歳でありたいと、永遠の若作り。
陰謀論や「とんでも科学」のその果てにあるものはなんなんだろうな、このあいだからそれをずっと考えている。