雑記。

「感性が立体、ってどういう意味?」とダーリンにつっこみを入れられて少々へこんでいたところ、
日記に時々披露される手作り作品のセンスがとてもいい方がおなじく子供の頃、「あおみどり」がお好きだったとみて復活。
「好きな色」と言われて「水色」とか「黄色」「オレンジ」とぱっと言えるのもいいことだけれど、
うちの子の場合、必ず「どういう状況で好きか」と、理由に「奥行き」がある。(と書くとまたつっこみが、、)
「色」だけではなく、何かを質問されても「それはどういう時で、どういうことか」と問い返してくる。
「理屈っぽい」と言われたらそうかもしれないんだけど、一つの意見の表、裏、だけじゃなく、それを構成しているもの、
をぐるぐる回してみようとする、写生するときも真正面だけではなく必ずぐるっと回って全体を見る。
だから取りかかるのが異様に遅い。絵ができあがるのも遅い。
これはこれで困ったことで、もうちょっと周りとあわせて早くかく、と言うことをしてくれたら、、と、思いつつ、
仕方がないか、で半分あきらめている。
ウヨク先生のいいところで、かつ悪いところは「周りとあわせろ、一歩なりともおくれるな、」であることで、
これはある程度社会生活を営むのに必要で、今までの先生はそう言う「考え方」があることを
ほとんど教えてこられなかったので、よかったか、とも思う。
夏休み前の面談では「あれが出来ない、これが出来ない」と、あら、どうもすみません、なことを指摘されて、
子供にそのことを言うと、冬休み前の面談では「ちゃんと出来るようになりました」とのことで、
下の子は面倒くさそうなことは人に指摘されて自分で「これはやばいかも」と思うまで、出来ても「しない」、
他の人に子供を見てもらわなければ、こういう点は私ではわからなかったな、いやー、甘い母親で申し訳ないっす。
親と考え方の違う他人に子供を預けるのは子供のためにはある程度いいことだと私は思う。親は完璧ではない。もちろん教師も。
話は変わるが、案の定、沖縄の中学生暴行事件は「被害者が悪い」と、とくとくと新聞紙上で語っている人がいるらしく、
どのようなしつけを親に受けたらこういうことを言えるようになるのか、「反面教師」として子供時代のことをお聞きしたいわぁ。
この辺の中学生は10時頃まで塾で勉強してますけど?
部活が終わるのが7時すぎだから、その後、週2回か3回、塾に通えばどうしても帰宅時間は遅くなる。
連れ去られたのは8時前後、たまたまその時間帯、外にいる、っていうのはごくごく真面目な普通の中学生でもあることだ。
また、お友達と一緒で「3人」だった、などの状況から考えて、ちょっと気まずい雰囲気で、お友達から離れたくなったとか、
とにかくこれくらいの年齢の女の子は身体は大人であっても心はまだまだほんの子供、
どんな衝動に駆られるかわかったモンじゃない。悲劇に悲劇が重なって、それをセカンドレイプと呼ばずしてなんと呼ぶのか。
新聞紙上にくだらない意見を書いた人間は、人間が「平面」であるとしか、自分の見たまんまの「存在」としか受け取れないんだろう。
子供の落書きにも劣る記事を載せる自称「新聞」とは、ああ産経ですか、そうですか、そうですね。あれ、「新聞」だったんですね。
その新聞記事をまた擁護する阿呆をネット上でも見ましたが、ああ、そうですか、この人ですね、なるほどね。
当事者のことは何もわかっていないし、被害状況もまだ明らかではない、ただ、日本の子供が、悲惨な目にあったのを
まるで「当たり前じゃないか」的に受け止める自称日本人がいるというのに純国産品、日本人の母親は驚いたのでした。
きっとこの記事を読んで納得する人は、夜にたまたま歩いていた女子中学生には何をしてもかまわない、と思ってるんでしょう。
そんな日本人が多そうなことがひたすら怖い、そう言う人に限って「日本は美しい国」と言ってるんだからねえ、、
感性が「平面」なんですな、ペらっぺらな人間性。「立体」を目指そう。