昨日の続き。

中国産餃子の話が大きくなってるなあ、生協の手作り餃子は子供達が幼児だった頃によく食べた気が、、(同じじゃないかも)
該当の冷凍食品に心当たりはないけど、愛用の「加ト吉」の冷凍うどんはどうなのか気になったりする。ああ、小市民。
昨日の続きで「負けさせたくない」は「勝たせたい」より「姑息」な感情のような気がした。(これは誰かも書いてたような、、)
Z会小冊子(じぐざぐたいむ、と言う名前です)で、尾木直樹氏は
「「子供を負け組にしないのは親の責任、愛情です」と皆さんおっしゃいます。
多少無理してでも家庭教師をつけ、塾通いをさせる。はたまた教育ローンを組んででも私立の中高一貫校に通わせようとする」
と言う。
ここで出されているのが「受験パパ」の存在で、「○○が学力をのばす、と言われればどっとブームになる」
「塾の説明会で父親の姿を見かける」「ビジネスマンの父親向けの子育て月刊誌の刊行」
「競争社会の中で働き経済状況を肌で感じている父親達のせっぱ詰まった思いを感じる」など、少々問題視している。
母親が「教育ママ」になるのと父親が「教育パパ」「お受験パパ」になるのは子供にとって「違う」、とこれは私もそう思う。
父親が我が子の勉強を見る家庭は増えているようで全体の3割、経済的に余裕のある家庭では7割に達する、と
私は、雑に見てつまり経済的に余裕がある、と自分たちのことを考える人は全体の「3割」程度なのかもしれないな、、
などと、その点が気になったりして、確かに「お受験パパ」は私より下世代の「父親」に増えているのは肌で感じる。
以前に地域役員をしていて、立哨当番のあれこれの説明をして歩いたとき、
「うちは中学から私立に行かせる予定なんで」と昂然と言い放たれられたことがある。
いや、それはいいんですけど、とりあえず話は聞いておいてくださいね、あなたの人生設計について何も聞いていません、
とは言わなかったですが、何かにつけくせのある人であったなあ、ものすごい教育熱心パパだと聞いた。
小学校低学年から塾を掛け持ちさせていると聞いたので、腰が抜けた、通信教育もさせている、と
その辺をうろうろしてる10人ぐらいと足して割ればちょうどよくなるだろうな、なーんて思ってしまった。
ここまでさせる人は少ないし、役員を辞めてから、うちの子と学年が同じではないんで今はどうなっているかしらない。
普通の人だったら、「ここまでしなくてもいいか」と途中で気がつくだろうしな。
ただ、「母親」だったら周囲の情報があれこれしているうちに入るんで「これは違うかも」と気がつきやすいだろうが、
「父親」だと「情報交換」がスムースに行かない。この辺が「教育雑誌」の好評な売れ行きにつながってるんじゃないか、
私立や大学付属校なら父親同士の情報交換も案外されているようだが、ごく普通の特に田舎の公立小学校では
なかなか父親同士、子供のことまで話をするには至らないだろう、「不安」が教育情報誌に走らせる。
「父親」が教育参加するのにはまだまだ色々問題点もあると思う。
だらだら長くなったんで、今日はこれでおしまい。お母ちゃんも、お父ちゃんも大変なんす。