Z会、小冊子を読んで。

今月のZ会小学生講座の親向け冊子に「今こそ見つめ直したい 子育ての原点」と、尾木直樹氏のインタビューが載っている。
尾木氏は「ゆとり教育の責任者」だとかで毀誉褒貶、というか、評価の安定しない人のように私は思うが、
新聞などでよく読んでいる。それなりに納得できることを書いていて、今回も面白かった。
PISA調査結果について、得点結果の原因を「よくよく分析してみると低学力層が前回と比べ急増していたのです」とある。
日本の子供は「白紙解答」が多く、自主勉強時間も短い、「勉強嫌い」の子が多い、が学力低下の根本的な問題だ、と
やはり、「経済格差」、家庭の「文化的格差」が学力を二極化させている、そうだ。
本来、「ゆとり教育」は「下の層」を押し上げるためであったのに、その「下の層」がさらに下がった、このことは大きい。
ゆとり教育」は全く気の毒な理念であると思う。
それが施行されたとき、日本は大不況で、「ゆとり」って何?と言いたくなる状況だった。
親にも「ゆとり」があって初めて成り立つ「教育」だったのに、親にそれがなかった。
私の地元には、いわゆる「リストラ」で都会から帰ってきた家族が結構いた。
生活が激変して、子供も、大人も、気の毒な状態の人が多くいた。
個人としては生活を立て直すのに精一杯で子供の教育にまで手が回らなかったのは仕方がないことだ。
それにもっと国家が対処しなければならなかったのにそれは、日本ではいつも「後回し」になっている気がする。
記事によると、調査で学力総合1位のフィンランドでは幼稚園から大学院まで「給食費も含めて」学費は全部無料。
これは大きいだろう。フィンランドの出産数を調べてみたくなった。
それとは別に「我が子を「負け組」にしたくない親心が産む危険」とあって、親はみんな「勝ち組」にさせたい、ではなく
「負け組」にはさせたくない、の声が圧倒的に多い、とこれが日本人「らしさ」というか、
先日NHKの番組で見た中国人の親たちとその「欲望」の表し方が裏表だという気がする。
中国の場合その欲望はストレートで、たとえばNHK特集「民主主義」で取り上げられた中国の小学校委員長選挙の時など、
親は子供に、これが「国家主席への第1歩」と叱咤激励していて、驚かされた。
日本ではいくら教育熱心な親でも「これが総理大臣への第1歩」と庶民の家庭では言わない。
でも、本心、と言うか、「下心」、は同じのように思う。「負けたくない」は「勝ちたい」と同じだ。
「勝たせたい」を「負けさせたくない」に、いわば「ごまかす」、この「手法」の傾向は日本的、と言おうか、
正直、「嫌らしい」と言おうか、私は「狭義の意味での強制はなかった」的な匂いを感じてうんざりした。
もちろん、自分自身にうんざりしているのでもある。
この記事にはあれこれ考えさせられたので感想は明日に続ける。今日はここまで。
来週はいよいよお受験ウイーク、とりあえず当日のお弁当は「カツサンド」に決定。
「テキ」に「カツ」!で、前日は、「テキ」か?いやいや、そんな食べ慣れないものは、、、とまだお悩み中。
リラックスして眠れるようなメニューって言うのはなんだろう、本人は「から揚げ」とか揚げ物しか言わん。
いい豚肉を買わなきゃいけないかな。