和田中、雑感。

昨日の7時のNHKニュースで和田中の補習講座のことがトップに取り上げられてびっくり。
これ、そんなに大きなニュースなのか?東京の1地区の1校の話でしょうに。かなり驚かされた。
でも、ただいま高校受験を控えてる母親の偽らざる声を書けば「うらやましい、、、」だったりする。
あそこの校長がうさんくさそうな人間であるのは感じるし、教育の理念からすればやり方は間違ってる。
でも、教育大付属じゃない地元の公立中学のトップクラスの子供達って、どういうレベルか私は知っている。
私立校も含む全体のトップレベルの子供の最底辺であり、全ての中学生のレベルからいえばちょうど中間くらい。
ここが一番、放っておかれている。
今現在、うちの子の中学もそうであるように、公立中学の学力は「ふたこぶ駱駝」と言われる曲線をきれいに描くそうだ。
中間がいないんですな、いても少ない。出来る子と出来ない子の差がものすごい。
平均点を出せば多分昔とほとんどかわりゃしないだろう、でも内実はこんなモン。
今、高校受験で先生はどちらに大わらわになってるかというと、「下の層」。「かわいそう」だから。
親が親として機能してないから先生が高校くらい入れるように手配してやらないと子供達を救えない。
確かに、出来る子の親はしっかりしてる、塾を探したり、「勉強しなさい」と叱咤激励したり。
先生が放っておいても何とかなる、何とかする。当然、学校は「出来る子」にはなんにもしてくれない。
でも公立中の成績上位者のレベルって高くない、だって「普通」にやってれば「みんなが出来る」が「ゆとり教育」だから。
能力があっても与えられた「量」に格段の違いがあればどうしてもそうなる。
難関高校とか、中高一貫校、帝大系の大学の試験って「ゆとり教育」の理念に対応したか?
「考える力」を重視した入試制度に変えたか?変えてない。
ま、昔からある程度以上でなければ帝大入学は難しいのが「常識」。
それでも一握り、公立校からでも、完全受験対応の私立校の子供と同じ「能力」があり、同じ「内容」を与えられれば
トップの大学に入れた、「かつて」は。これはものすごく大事なことだった、「全体」にとって。
このままじゃ、全体の「中間層」がいなくなる、それでもかまわないんだろうか。
和田中の補習が成績上位者のみ、とは教育の機会均等から見たら悪いことだ。
でも、公立中学でまともな授業が成り立たなくなってる、一部であっても荒れた子供達が授業をうける「権利」を
自分の分だけじゃなく、他人の、多くのごく普通の子供達の分まで奪う、これが「機会均等」の現実。
それでも勉強してきた成績上位の子供達が、うさんくさいものが含まれた機会であってもそれを利用する、
そんなに責められることじゃないと私は思う。腐りかけていても「学ぶ権利」。
「機会」を利用した子供達に悪影響があるわけではない、が重要。
公立の教育現場には相当うさんくさいものがもうすでに入ってきてる、(「水からのなんとか」とか)
それが一つ増えようが二つ増えようが今更どうってことはない。
和田中の現在3年生はあの補習を受けられるんだろうか?
もし受けられないとしたら「不公平」でもあるけれどそれは仕方のないことだとあきらめているんだろう、
うちの子の学校で馬鹿が騒いで授業の妨害をするのを真面目な生徒が我慢しているように。
理想と現実はいやになるほどお互い遠い存在だ。
和田中の試みを積極的に賛成することはないけれど反対もしない。これは、この地区の、この子供達と親が決めたことだ。
うちの中学では「私の子供が受けられないんだから絶対駄目」と妨害する人の方が多いだろうな、、
あんたんちの子供、自分が受けてる授業も妨害してるじゃん、と真面目な子供の親はのど元まで来た言葉を飲み込む、
ハンパじゃない嫌がらせされるのが目に見えてるから。そういう社会の現実。悲しいなあ、、