ぐちぐち、うだうだ。

とほほ、娘の1次受験校の倍率がめちゃくちゃ上がってる、今年でやっと3年そろうような新設科だというのに、、
去年まで定員割れしていたのになんてぇこったい!定員割れしてるから、選んだのに。(涙)
制服が新しくなったせいか新校舎完成のせいか、はたまた校区指定を外したせいか、
あの倍率で全県下でたった20人の中に入れるかどうか、、(再び涙)
願書を出した後に、色々よく知っている年上の「マ・ダーム」に聞いた話は本当だったのね、、、
うちの地区の教育大付属校は伝統的に高等部がなく付属の子供達は、お金持ちが行くので有名な私立の高等部か
公立だけど別格の「東大一直線」科を目指す。
でも、付属の本当のトップ10人ぐらいは全国的に有名な灘とかラサールとかに進学するのに
年々、県外に出る子が少なくなっているそう。
「不況のせいで、付属に行かせるご家庭でも高校から県外に出す「余裕」がない」
「子供に甘くなっているから無理して県外に出す必要性も感じない」と、
「だから本当だったら県外に出るような子供が県内に留まって「別格」校を目指す」
「で、そこから漏れた子供が順番に下がって、私立校、新設科に来る」
なな、なんですとぉー!そんなこと願書を出す前に教えてくださいよぉ、、、
「昔」なら「良家」のご子息としてのいわば「通過儀礼」として、高校から県外の1流校に出る、は「当たり前」だったけど
「今のいいおうちのお母さんはお子さんを甘やかして育てているから高校から1人で暮らすなんてこと、とてもできないわよ」
いいおうちじゃないけど、うちの子も駄目です、すみません、、、「あら、女の子はいいのよ、それで」
ああ、「マ・ダーム」、「高校受験くらいでくよくよしない、うちの子は今年国家試験よ」、頭の下がるお言葉をありがとう。
やれやれ、これもいい経験だと思って、駄目だったら2次は普通科にさせよう。地元事情は色々あるわ。
そう言えば先日、戦前、戦中の学校制度について話を聞いた。
うちの子が目指す高校で、私とダーリンの母校は元旧制中学、戦前は本当の「良家」でなければ入れない学校だったそう。
また、こちらに旧制高校はなかったので帝大を目指すには県外に出なければいけなかった、
つまり、昔は帝大に行くような「名家」とされるおうちの子供達は高校から県外に出る「伝統」があった、
それが戦後も「意識」としてずっと続いて全国区の進学校に行かせてた、みたいだ。
学校制度も戦中は変わっていったようで、こういうことをあんまりしらないな、と話を聞いて思った。
階層分けされた学校コースを聞いていると、戦後の民主主義の中で随分優遇された制度の中で育ったのかも、なんて、
日本の教育の歴史をよく調べてみたくなった。
何はともあれ、激しく競うあうような中に私は子供を入れたくなかったのに、甘かったなあ、、、かなりへこむ。
「じぐざぐたいむ」の尾木直樹氏の話のオチを書いておこうと思ったけど、明日以降。
私は漠然とトップ校とかって自分の子供が行くようなところじゃない、と思っている。私の子供は私「だけ」の子供ではないけれど。
追記:「旧制高校」進学年齢は17〜8歳、今の大学進学年齢とほぼ同じです。
   ここらが昔の学校制度の難しいところ。