ニュースに思う。

父親を刺殺した中学3年生の件で、私は子供に「殺される」ほど強い感情を抱かれるとは、
親としてある意味、「本望」じゃないかと思うけれど、「保護者会の前に」などという「都合」で殺されるのは、悔いが残るなあ。
以前、奈良の自宅放火事件でも少年は「保護者会」の前に火をつけて「逃げよう」としたと聞いて、
私立の「保護者会」ってどんなものか、想像がつかない。
公立校で「保護者会」といえば、部活の役員決めとか水当番ぐらいしか思い浮かばないものね、、、
ところで、このあいだ買った「プレジデントファミリー」を一通り読んで、これを真に受ける親がいたら怖い、と思った。
これは子供を「育てる」雑誌ではなく「マネジメントする」雑誌だ。
その「コンセプト」は「「クライアント」(=お子様)を荒立てないように穏便に、こちらの思い通りに「操る」方法を教える」で、
結局は「子供」の「意思」に反して、親の思惑通りに「勉強」なり「振る舞い」なりを押しつけてしまう、
子供にその「子供らしさ」を利用しつつ、嫌なことも「親」に「いやがっている」と「気づかせない」ように「振る舞わせる」なんて、
ものすごく非人間的なやり方、それをさせるやり方をどこまで本気か、書いてある雑誌なんだよなあ、
つまり、子供に「嫌だけどやってる」というふてくされた態度をとらせないために、
親が「自分」を不愉快にさせないための子供の「操縦方」を「伝授」するって、「教育」とはいわないんじゃないかな?
やっぱり「勉強」っていやなもんですよ、子供にとって。
それでも、親が「うるさい」し「仕方がねーや、とりあえずやってやるわ、ありがたく思えよな」が子供のあるべき姿、
何千人に1人くらい、「僕は本当に勉強が大好きです!」なお子様はいるだろうけど、
それはもう、親がどうこうの問題じゃなく、生まれ持ったある種の「才能」、それを全てのお子様に望むのはどうかと思う。
「子供」に「いやがることを押しつける親」であることに耐えられないのだったら、子供は持たない方がいい、
親子関係とは人間がいちばんはじめに「戦う」関係でもあるのだもの、
「勉強しなさーい!」「嫌じゃあー!」「なんでじゃー!」「嫌だからじゃー!!」と「ののしりあう」のも、正しい親子関係、
成長するまで子供はずっと負けてきて、でもいつかは親が負けて、それで、子供も親もお互いの関係を学んでいく、
そういう「必死」の関係を経ずして「親子」は機能するのかな?私は不思議に思う。
それに「学ぶばせる」とは、そんなに「口先三寸」で片付くようなものなのかな、
「さりげなく、勉強だと「思わせない」ように「学ばせる」」って、さもしいやり方じゃないか、
私は「勉強は勉強だ」と子供に認識させておくのも親として子供に「教える」ことの一部だと思う。
それが「学ぶこと」に一番大切なことじゃないのかな。
まあ、「プレジデントファミリー」は半信半疑の「教育コラム」として読むにはそれなりに面白い。
今回、それぞれの質問に答えている「先生」のメンツも笑えるし。
「性への興味で頭の中はいっぱい」なんて質問に、「鹿島茂」が答えてるよ、わはは、
いやー、私だったら、この人にこんなことは聞かんな、
もっと別に「コア」性教育について、おフランス的な観点から蘊蓄を、、、って、それじゃ違う方面に走るか、
でもそれも「勉強」じゃないか、それが「楽しみながら学ぶ」、と私は考える。
「親が喜ぶように、「喜んで」勉強している姿を見せながら勉強する」なんて、今時の子供は本当に辛い。キレるのも仕方がないような。
うちの子の場合、上の子は親にぷんすかして、「いやいや」勉強をする「スタイル」、
実はそれほどいやでもないのに、「いやなことをやって「あげてる」んだからねっねっ!」と。最近は少し変わったけど。
下の子は、机に向かっていても、1時間のうち50分くらいはいかにしてこの「宿題」をやらずにすむか、を考えていたり、
その「宿題」はやれば20分くらいで終わるものなのに、その「時間の無駄」にいつになったら気がつくんだろうねえ、、、とほほ。
私が考える「親子」関係がいいか、悪いか、それはこの先、子供に判断してもらうことにしよう。
私立校の「保護者会」の実態は、ごく当たり前の家庭にとってはたいしたものではないんだろうけど、
神経質になっている子供にとっては、やはりプレッシャーだったんだろう、
混乱して自分の手で父親を失った子供のことを私も心から気の毒に思う。