雑談。

思えば「小林よしのり」や「イチゴ畑」の「言葉」で「しゅーりょー」になる私は
同じ「言い回し」を念仏のように繰り返す人たちとレベルとしては全くかわりがないな、それがわかっててもやるんだからな。
よく読んで勉強させてもらってるところの人がひょっとして「よしりんに騙された?」と思われることを書いていて、
東大一直線」とか読まなかったのかな、と思う。
「ゴー宣」が始まった頃、毛色の変わったものを描き始めたな、で、ふうん、ちょっとはわかってるんじゃない、みたいな、
どうしても「漫画家」が描いてる、のイメージを持ってたんで「おおっ!」という気にならなかった。
ちゃんと漫画が描ける人がなんであんなことをやってるんだろう、
ちょうど西原理恵子とかの「エッセイ漫画」が増えてた時期なのでその「男性」バージョンかな?なんて、
東大一直線」を読む感覚で読んでたなあ。
何かを「信じる」というのは確かに凄いと思う、純粋でおおらかな人に「だけ」できる気がする。
変な例えだが、うちのダーリンと同じ人間関係を夫婦で見つめてて、私は「あ、やっぱりな」みたいなことがあっても、
ダーリンは「全然気がつかなかった、、」ってなーんで、そんな「いいわけ」信用しましたかね、とこっちが驚かされることもある。
他人が話すことなんてちっとも信用しない心の黒い嫁をダーリンはもらっていて、
ここら辺で育ちの善し悪しが出るというか、「下世話」が勝つ!と言うか、
信じることが出来ないってのはよくないことだけど、これは凡人の「知恵」でもあると思うんだなあ。
何かに「はまれ」ばそこから容易に抜け出ることが出来ない弱い自分をはじめから知ってる、
自分が「凡人」であると言うことだけを理解してる、これが今まで私をずっと助けてきた、良いにつけ、悪いにつけ。
弱者の本能みたいなモノ、「それ、本当?」をいつも繰り返す、「弱い」自分を守るために。
誰でもが抜け出ることは出来ない、その能力を与えられている人はまれだ、とその能力を持ってる人は自覚してるかな?
「自覚」を遙かに超えるようなうちのダーリンみたいな人もいるけど。(いや、誠にあっぱれざんす。)
よしりんに話を戻すと、私は漫画家の「意見」として立派だと思ってたし、ある程度までは読む価値があると考えてたけど、
だんだん、何かを隠す、ごまかす、みたいな「匂い」がしてきてから読むのをやめた。
なんの話だったか「分をわきまえろ」みたいなことを書いてて、じゃあ、おまえも「漫画家」として「分」をわきまえているのか?と
「むか」が入ったんでそれっきり。今は全然読んでいない。
「漫画」だから読んでるんだよ、の「感覚」はやはり悪いのか。
漫画は言葉以上に「絵」まで使うからいろんなことがよりやっかいになる、そこを「割り引く」気持ちでいるんだけど。
「漫画」として「面白い」か「面白くない」か、で評価をするのは「東大一直線」を読んでた「世代」の違い?
もっと「漫画」を読みましょう。(違うか)
「のびー」に至ってはビールの宣伝マンだとばかり(あのコマーシャルはそうとうさんくさい奴ばかり集めてたような)
どこかで本を見かけて「この人、本も書くんだ!へー、ビール飲んでるだけの人じゃなかったのか」
「あなたは本当にもう、、」とダーリンが涙ぐむような発言をした私。ダーリンは嫌いでも名前は知ってたようだ。
私はその後「小林信彦」と混同したりしてダーリンから大目玉。ほほほ、私の「混同」癖は筋金入りよ!
何かに「はまった」り信じたりする人がうらやましい、時々心からそう思う。(でも、しないのね、それが「私」)
ところで「ノロ」上陸か?下の子の学年で大流行で昨日から下の子の元気がない。(甘いものを食べない!)
上の子の受験はもう1ヶ月を切ったというのに。とーほーほー、、、