大晦日です。

昨日「レコード大賞」をやっていたのに驚いてしまった私、「日付までわからんくらいぼけたかー!」と一瞬思った。
「見たい」と言った上の娘に「あれは明日です」と怒るし。時代は変わりますな、、
ちらちらとしか見なかったけど妙に私世代が知ってる「懐メロ」がかかって、居心地悪い。
「ママくらいの人にはうれしいんじゃないの?」と言われて「全然!」と
「ママは新しい歌が聴きたい」「えー、ママくらいの人ってみんなそう?」
いやー、違うだろうなあ、こういうのをやるのは「需要」があるってことだし。そう言うと、「なんで?」
大昔の松田聖子とか、小泉今日子とか、今を知っているだけになんだか「痛い」、
もう時代とともに「終わった」んだし、私は「懐メロ」が苦手だ。
過去に売れた曲を延々と流し続ける意味がわからない、「懐かしさ」より「申し訳なさ」が先に立つ。
こういう「レコード大賞」のような子供の番組にいつまでも親世代がしがみついているようで、
思えば、子供「だけ」のための何かっていま、ほとんどないんじゃないかなあ、何でも「大人」と共有、のような、
大人に遠慮しながら子供がいるような、ゲームでもアニメでもマンガでもそう、完全な「子供」向けってあるか?と思う。
最近は「中1コース」とかの雑誌も存在しないし。どこか居心地悪そうに大人のところに子供が「いさせてもらってる」って感じ。
私の時はどうだったろう、「アイドル」とか、完全に「子供の世界」のものだったような気が、、
「まれ」に大人も混じってちょっと気恥ずかしそうにしてたりして、そう言う「もの」だったんじゃないか。
子供が子供でいることを十分楽しめていたような、少なくとも今の子供よりは特定の子供「だけ」の世界があった気がする。
それに対して完全な「大人の世界」も存在しただろうが。今の何もかもの「ボーダレス」が子供にいいことなのかどうか、
少なくとも子供には「不利」に出来ているような。「私」世代が随分子供の「邪魔」をしているんだよなあ、、、と改めて反省。
今年私は「不惑」となって、20年前はきっと紛れもなく「ふわく」に違いない、と信じてのに、
実際なってみるとむしろ、軽佻「ふはく」、いやはや、こんなで親やってすみません、と言うくらい「惑う」。
人生80年時代のちょうど真ん中でいまだに迷ってばかりだ、10年前の方がむしろ迷いがなかった。
つまり迷う「余裕」がなかった、と言うことで、「ゆとり」があるから「迷い」もあるんだろう、ありがたいことだけど。
うちはダーリンとちょうど10歳離れてるんで、ダーリンの「40」歳の時ってどうだっけ、と思い出すと、
今以上に仕事が忙しくて余裕がなかったなあ、、今、やっとちょっと「余裕」が出来たってかんじ。
これが「男女」の「差」のような、男性はちょうど40歳は「これから」のバリバリの現役だ、でも女性は?
仕事をしている女性に多く心当たりがないんで限られているけど、
私の知り合いは私とそれほど変わらない時期に子供を産んでたりするんで子供の手がやっと離れた、で
ちょっと「余裕」が出来た、仕事もそこそこ順調だし、と40才の男性の「これからだ!」の勢いはない。
「介護」が始まるまでちょっと「一息」みたいな、そう言う「穏やかさ」がある。(私の周りだけか?)
それでも男女の性差は「ボーダレス」になってるんだろうか?実感がないなあ、、
今の世の中、子供がやはり生きにくい、単なる「小さな人」と認識されているような、
「子供」の概念は文化が発達してはじめて出来たそうで、でも今の子供は本当に「子供」として容認されてるか、
ネットであれこれ拾い読みすると「そうじゃない」と思わずにいられない。
「今の子供は恵まれてる!」と、本当にそうか?何でも与えられているようでなんにも持ってない気もする。
完全に親の「従属物」だ。余裕のない世の中、子供の「場所」がない。
そうしたのは私世代で、きっとネットで馬鹿なことを書く私自身の「意識」でもある。
少しは「大人」になろうか、と「ふわく」でそれを言ってる時点でもう終わってるような(涙)、まあそう言う1年でした。
来年は「バカボンのパパ」と同い年よ、と考える時点で、駄目だよな、でも考える。子供達よ、ごめん。
今年もっとも印象に残った言葉は夏になくなった少々(?)困ったちゃんだった伯父の
「老いは思っていたより遙かに獰猛だった」と書き残したこと、そう言うことを感じる人だったか、と。今も悲しい。
正月はネットを離れて読書三昧、丸山真男「自由について」小田実「強者の平和、弱者の反戦
小熊英二の「民主と愛国」をせっかく買ったのにまだ読み直せてないんでその前に再び「日本人の境界」を借りる。
久々に野口武彦「江戸は燃えているか」、野口武彦が今年「おすすめ」の氏家幹人「サムライとヤクザ」、これは久々に「買った」。
がつがつ読みます。太ります。正月、しばしお休みします。(ダーリンはお仕事だけど)
明るい新年を。