賀正。

「あけ、おめ」とは最近出来た言葉では「ない」そうで。「ことよろ」
黒豆失敗したー!ああっ、どこかで誰かの笑う声がぁーっ!(新年より妄想炸裂)
ぬぬ、わかものより、変な日本語を指摘されてたいそう悔しい、黒豆に身もだえするおばはんを笑ったな?(うそ、うそ)
いや、本当に黒豆は失敗しましたよ、実は去年(じゃなくてその前の年)の豆を使おうとしたのも敗因の元で
最低一晩は水に戻さないといけないのを無理矢理朝つけたのを夕方から煮始めたのが悪かったのと、
焦りすぎたので全く駄目でした、しわしわで、堅くって、、(涙)、、
それよりももっと悔しかったのはダーリンが「別にいーじゃん、黒豆なんて」といいやがったことで、
「えー、毎年、黒豆なんてあったっけ、いつから作ってたの?黒豆、ぼくは全然好きじゃない」
なんと!「専業主婦」の密やかなる「プライド」を全否定したな?つやつやとしわ一つなく柔らかな黒豆を
「ふふふ」とほくそ笑む1年の集大成ともう言うべき、意味なく手間暇かける「黒豆」を「どーでもいい」と言ったな?
フェミニズム」は必要です、私の「黒豆」のためにも。(ちがうな)
年明けに、読めなかった年末の新聞をまとめて読んでいたら大晦日朝日新聞に「普通の家庭が危ない」とかいう新書の宣伝が
目に入って、「元旦に雑煮を食べない」ご家庭が増えてるとか、まあ、いっちゃあなんだが、地方のスーパーは
12月31日も開けて、1月1日もあいてるんで、ここにおつとめ、あるいは「パート」の人間が
「おせち」あるいはお雑煮を作る余裕があるとはとても思われず、しかも古典的な「おせち」はどう考えても
「どんと来い!高血圧」な味付けで、果たして日本人の健康を考えるべきか、それとも死んでもその「文化」は守るべきか、
年末は醤油と砂糖とみりん、酒、の減る量が尋常じゃないことに心を痛める古めの「大和撫子」は思うのであった、、、
たとえ1日でもスーパーがどこも開いてないのならせっぱつまって「おせち」でも用意するかもしれんが
「大晦日」の昨日も「元旦」の今日もあいてるのなら、しちめんどくさい「おせち」なんて作る必要ないよな、
大体、「おせち」をじっくりまともにつくろうと思ったら「どんだけ」手間暇かかると思ってんだよ、
そもそも出来のいい今年の「黒豆」を選ぶところから、、、(涙)
まあ、とにかく、「お雑煮」はともかく「おせち」は時代に合ってないですよ、よそのご家庭が元旦に何をどう食っても
私はそれほど興味はないですな、「普通の家庭が危ない」ってタイトルだけで「パパを殺す」のどうのと刺激的なタイトルで
世間を煽ろうとした草薙なんとかの本を思わせて不愉快です、でも読んでない本に文句を言っちゃ駄目、と
至極まっとうなご意見をいただいたりしたんで、図書館で見かけたらじっくりねっちり文句をつけてやろうかと思います。
待ってろよ、ふふふのふ、、(コンセプト的には良質の本かもしれませんが)
丸山真男の「自由について」を読み始めて「正統」について、「オーソドクシー」ト「レジティマシー」
福沢諭吉の「政統」で早くもつまる、諭吉っつあん、と言えば、万円札の父ちゃんじゃねーかよー、
この人を避けて通れないんだろうがなんにも知らん、マダム貞奴の晩年の恋人の舅じゃなかったっけ、と
そう言うことしか思い浮かばないんだよ、偉人、ってのはわかるんだけど。
よく考えてみれば鎖国の時代から異国語の習得、その先の思想の理解まで至った人なんだから
多少異国文学をかじった人間としてはもっと知っててもいいんだよな、勉強しますですよ、しくしく。
ちゃっちゃと野口武彦にうつってあっさり「江戸は燃えているか」を読み終える。
読みやすくって、涙が出ちゃう、その感想は、また後日。今年もいけいけどんどんです。