雑談。

ステイ先にシェパードとシープドッグの大型犬を飼っていて犬が苦手な私は閉口した、
「ハロー」とドアを開けたと共に犬が「ワン!」だもん、卒倒しそうになったわ、あのとき逃げ帰らずによかった。
どうして犬好きの人って世の中の人間みんな犬が好き、と信じるんだろう、
私は子供好きだが世の中の人間みんな子供好きとは思わんよ、そんなことありえないじゃん。
狭い家だったのに2匹の犬を大事に飼ってて、それほど臭くはなかったし、よく訓練されて賢かったんで、
最後には一緒にベッドで眠ったりしてたけど(やけ)、それでも自分で飼いたいとは思わんなあ。
失ったときの悲しみが大きすぎるって気がした、好きではないが一緒に暮らすうち、なんで好きな人が好きかはわかった。
かわいいわな、忠実だし。人間より信用できるところもある。猫なんかとは全然違うし。
私は猫も好きじゃないんだな、強烈に臭いおしっこで私の園芸品をたくさん枯らしたし。
小動物が苦手だ、好きなのは人間の子供だけ、
人間の赤ん坊はふにゃふにゃしてかわいいがしゃべるようになるとまたぐっと面白くなる。話せるってすごいことだ。
昨日は今年最後の立哨当番で、子供を見るのも楽しいが、通りかかる人を確認するのもなかなか。
あの車の女性は必ずここの信号待ちで口紅を塗る、あの車の兄ちゃんは、いつもこの自販機で、たばこと缶コーヒーを買う、とか
春夏秋冬当たる立哨当番の日に、いつも同じなんだから多分、毎日やってる、
(しかしあの兄ちゃんは毎日たばこを買ってたら一月で結構な金額になるんじゃないか?)人間のすることは興味深い。
私はどんな犬でも猫でもさわれる人はすごいな、と思う、特に猫なんてきれいに見えてもどこでなにをやってきたかわかんないよ?
猫は常に腹に一物あるに違いない、庭で猫のうんちと格闘する私にはわかる。
その点で言えば人間の子供は安心だ、少なくとも日本の子供はどんな子供でもそんなに汚くない、
スーパーでわんわん泣きながら床に腹ばいになってずりずり下がっていく子供であっても、臭い、と言うことはない。
あれを忌々しく思って悶々するくらいならいっそ声をかけてみればいいのに、「どうした、なにがあった?」って。
たいていの子供は驚いてぴたりと泣きやむ、どこからともなく母親が飛ぶようにして現れるしね。
誰が母親かまで観察するヒマがあるんなら、簡単にできることだ、周りの空気もぱーっと変わっていくのが肌で感じられる。
いまどき女性であっても母親以外が子供に声をかけているとある種の緊張感がその場に走る。世の中はそういうもの。
世界に対して警戒心いっぱいの母親が抱きかかえるようにして子供を連れて行くか、「すみません」と謝ってくるか、
反応は様々、泣きやんだ子供の反応もね。ま、若い女性が子供に話しかけていたらまずまず好意的に見られるんだよ、
同じように気になってた人が声をかけてくることもあるしね。ここで、出てきた母親を責めちゃいかん、
「大変ですよね」と一言言えば、ほぼ解決、これは人間が「話す」ことが出来るから。
でも男性がするのは難しいだろうなあ、それには同情する、男性の場合、なるべく目立つように声を出すのがよろしいかと。
売り場なんかでひっくり返って泣いている子供もあれは一種の「承認要求」なのかな?
他人にでも声をかけられれば一瞬でも泣きやむのはそのせい?どうなんだろう、、、
なんにしても、私はやっぱり人間の子供の方がいい。
ところで、日本の国会議員が公的場で「UFO」の存在を信じる、と発言するようになるとはなあ、、
いい世の中になったもんだ。