お休みの予定でしたが、その2。

うさうららさんの書かれた日記に「これだ!」と思ったので勢いでついコメントを書いてしまった。
(後ろで、早くやめろ、と邪魔するダーリンの声を聞きながらで、いつにまして変ですみません。)
「うざっ」と思った理由が、言葉に出来ない違和感で、その違和感がどこから来たのか、
とてもきれいに書いてくれた気がする。あるいは、私にとって非常に都合のいい理由を見つけた、と言えるのかも。
以前、年齢が上の障害児らしき子供にお子さんをつきとばされて、その母親とつい売り言葉に買い言葉、
「それをいっちゃーおしめーよ」なことを言ってしまった、のエントリが話題になったことがあって、
それを以前私もつい取り上げて、(http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20070223
これを読まれた方々は果たしてどのように受け取られたか、非常に不快な思いをされた方もいらっしゃるだろうと思う。
明らかに力の強い子供に突き飛ばされたりしたら、その子の母親はどうしたっていきり立たずにはいられないんで、
でも反射的に怒ったら「この子を差別している!」と言われてかっとなる人の気持ちの方が
私にはよくわかったので、あの「フィクション」をざっと目で追ったときも同じく、むっとなってしまった気がする。
その「むっ」となる感覚が私には少々痛くて、何故痛いかというと、私は自分の母親が障害児指導の仕事をしていたので
幼い頃はいわば「障害のある子供」と母親を取り合っていたようなことを思い出すからだ。
視覚や聴覚に障害のある子供の生活全般の指導をするので「泊まり」もある大変な仕事を、
働いているというだけで白い目で見られてしまう保守の強い地方で母はしていた。
その子供である私たち兄弟は、母を困らせてはいけない、と「頭」でわかっていても「心」の方では、
周りの目もあって、何となく見捨てられているような、それぞれに独特の悲しみを抱いて大きくなった気がする。
「(私の名前)ちゃんのお母さんはお仕事をしているからこんなこともしてもらえないのよねぇー」みたいな、
「かわいそう」の台詞を私たちは飽きるほど聞かされてきて、
でも「かわいそう」の裏側にある嫌らしい優越感の「ねた」になりたくはなく、ただ、母親にそばにいて欲しいときもあったりして、
そんな時、母が言う「あんた達よりもっと大変な子がいるんだから」を思い出すと、情けない気持ちになった。
母の職場の催し物のバザーや運動会などに、子供の頃何度か遊びに行くこともあって、その時に
「(母の名前)先生の子供?」と言うことで、何かを言われたり、または仲良くなったり、
私の通った学校のそばにその施設はあるので、そこから出てくるところを同級生に見られたら信じられないような
ひどいことを言われたり、(田舎の障害者差別は今は違うだろうが、私が子供の頃はまだすさまじかった)
そういう経験が理不尽なものだったにせよ、子供だった私には確かな「痛み」だったので、
様々な記憶が私自身に対する「うんざり」感を生み出す。
泣きたくても泣けなかった記憶、間違っていても間違っていると言えなかった記憶、雑然と整理がつかないままに、
放りこんである箱の中のものが、思いがけずあふれ出すような、そういう感じ。
やりがいのある仕事を生活のためであっても真摯に取り組んでいた母に対して尊敬も感謝もしているのに、
そして障害のある子供達の現実をほんのかけらであっても知っているのに、
本当は、「私のお母さんなんだから」と言いたかった幼い私がふと、顔を出したような、
自分のものではない「障害」とすれ違うときの痛みは自分の子供がそうだったかもしれない、と言う思いと、
もう一つ、かつての子供の自分の思いが私の中にはある。
でもあの「あざとさ」への違和感はうさうららさんが書かれたとおりだ。名状しがたい不快感を私も感じている。
昨日、最後まで読んでみて、障害のある人のどうの、と言うよりむしろ「母親」の在り方みたいなものが
妙にいやらしく描かれているような気がしてそれにも「うざっ!」となってしまった。
何となくすっきりしないんで、まとまらないが書き残す。
「母」としての有り様を馬鹿にされている気がちらっとした。もうちょっとよく考えてみよう。