色々。

10分で書くのはやはり無理があるなあ、20分はかけなきゃ、と反省。(でも20分が限度で、それ以上でも書けない不思議。)
このあいだ子供の顔が「くしゃくしゃになる」と書いて、10年ほど前の「チック」事件を思いだした。
上の子は物心ついてから引っ越しを経験しているので一時期、子供の表情が私には「くしゃくしゃ」に見えて、
それを実家の母に電話で話すと「チックじゃないか!」と言い出して、あわてて保健婦さんや小児科の先生に相談したことがある。
結果、「チック」じゃなかったです、馬鹿母です。
それなりのストレスはあったものの「チック」と言うほどでもない、お母さんが心配すると余計ひどくなりますよ、
「常識を働かせましょう」なことを言われて、すみません、常識ないイマドキの母で。
でも、私には子供時代に引っ越しを経験したことがなかったので、
子供の心には負担じゃないか、と様々な「情報」に振り回されてしまった。
「しちゅーき(=やっている)」「いーゆーろー(=いってるでしょ)」の高知弁のところから
全然別な言葉のとこに行ったのでとまどいは「ふつー」にあったんだね、
それだけをおおごと視する私の心が「ちっく」だったのよ、、、(遠い目)
上の子は、その後小学校も途中で変わったから訳がわかってない下の子よりも心の負担は大きかったと思う。
騒ぎ立てたらかえってよくないことがすり込まれそうでそれからは母親の私も「ふつー」にしていることを心がけた。
これは意外に難しいことで、今でもなかなか出来ない、「ふつー」って一番難しい。
演技者がもっとも難しいのは「自然」にしていること、と聞いたことがあるんで、
プロでさえ難しいことを育児者はやらないといけないんだね、親になるには「パフォーマンス力」も必要ってか?
でも、騒ぎ立てるのも「自然」なことじゃないのかな、落ち着いたふりするのがいいことなのか、悪いことなのか、
それを子供がどう受け止めるか、親には全然わからない。
受験生として当然持つ不安と戦っている子供にどうするべきなのか、まだ迷っているなあ、、、
迷ってるうちに時は過ぎるのに。
おいしいものを食べて、よく眠って、ちゃんと試験を受ければ大丈夫、とこんなこと言ったりして甘やかしているような、
このあいだ東大受験予定のお子様への至れり尽くせりを聞いてちょっと反感を持ってしまった私が
基本的にやってることは一緒だ、お子さんがいすに座りすぎて腰が痛いから整体の人をお願いしてるって、ふーむ、、、、
すごく難しい試験を突破した人は日頃「自分は受かるとわかってた」とか「どのレベルで入れるかが問題だった」
なんてうそぶくけど実際に子供の受験の話をすると「ああ、そうだった、あのころはつらかったなあ」って、
見栄はってんじゃねーよ、素直にものを言ってくれよ、とちらっと思う私、出来のいい奴は素直じゃないね。
ダーリンも何度も試験の夢を見る、と、へーっ、私は今まで一度も試験の夢なんて見たことがない。これって特異?
最近全然夢を見ない、と言うより夢を覚えていないんだろう、なさけないなあ。
話は変わるが「某」白熊先生が「承認」について取り上げられて、その周辺も読んで、うなってしまった。
白熊先生の「承認」は、別所で取り上げられた「承認」とは少々違う感覚であるような、
ちゃんと理解して、整理するには時間がかかりそうな、「障害」という言葉同様に、もっとよく考えてみようと思う。
私には「承認」の定義づけがすでに難しい。でも大切なことだと感じる。子供を育てるにおいて。
休むのどうの、と言いながら結局書いちゃった、書くのは簡単だし時間はかからないんだけど、
書いた後、私はついついあちこち読みに行って時間をつぶしてしまうからなあ、、
書くだけ!が出来ればどんなに時間の節約になるのでしょうか(涙)、「読む」のが本当に面白いのです、、、