雑記。

高1の国際審査が低下したとかで新聞が騒いだようで、ネットであれこれ拾い読んで一番納得したのが
「結果をスグに求める人が増えたからと考えています。」
その通りだと思うなあ、別分野の能力を伸ばそうとしたんでしょ?今までのを削ってでも。
それなら新しい別分野ではどうなのか、それもまだ数年しか経ってないんだから、わからない。
試行錯誤を繰り返しながら教育現場はやっていってるんだし、あまり騒ぐな、「マスゴミ」と言いたくなる。
(「マスゴミ」の言葉が気に入ってるのに、ダーリンはやめろと言う、でもこれほどぴったりな言葉はない。)
後に続く子供達のための「試行錯誤」の親として一つ言えるのは、「叩く」以外にマスコミは何をやった?ってことだ。
「公立はもう駄目だ」「公立にいくと負け組になる」云々。
で?
「負け組」なんて決めたのは誰なんだ?「マスゴミ」連中は、それで「勝ち組」に属するのか?
へぇーーーーー。
たいしたことも書けてないくせに。
確かにゆとり教育には「?」なところも多くて、教科書を見ても先生の技量の差が出まくるような内容に私は思う。
小学校「総合」の時間なんて、担任の先生によって驚くほど差があった。いい先生は実に素晴らしい。
同じ学年でもクラスによって、こんなに違うのはどうよ?と思うが、仕方がない。
色々つきあってきて、私は物事は薄目で見るようになった、先生がどうでも「何か他にいいところもあるだろう」と。
ま、精神衛生上、大変これはよろしいテクニックでございます。
それから「ゆとり教育、憎し」と叩きまくることはやめた。だって、何かが違うんだもの。
子供の教科書を読んで、昔より今の方がいいな、と思うのは小学校の「歴史」だ。
シャクシャイン」と言うアイヌの人の話を私は全く知らなかったが、子供達は知っている。
「理不尽」と戦い、悲しい殺され方をした人だと、それから沖縄の悲劇についても子供達は私よりよく知っている。
従軍慰安婦」の言葉も子供の頃の私はそんな言葉を聞いたこともなかったが子供達は自然に「戦争犠牲者」として覚えた。
多分、もう少ししたら「性差別」の犠牲者であることにも気がつくだろう。
わなにかけられて殺されたアイヌの人、日本における「沖縄」という存在、今も存在する戦争の性の犠牲者。
親が昔知らなかったことを子供が知るようになることに私は公教育の意味を見出す。これらだけでもたいしたことだ。
ジェンダーフリーバッシッング」をする人と「従軍慰安婦問題」を軽視する人はダブっている気がするが、
先進国の中でエイズが相変わらず増え続けている日本の現状をふまえても、ジェンダー教育を否定できるか、
戦争がどれほど非人間的に女性を扱うか、また回り回れば真面目な男性をもおとしめるのか、
従軍慰安婦」を子供時代に知って、考えるのはこの先決して悪いことじゃない。
「正しく」教えられていれば、のことではあるけれど。
ジェンダーフリーバッシング」はそれをも阻害しようとしてるんじゃないか。
性を「知識」として覚えれば、世界の「理不尽」にも気がつく。(と、私は思う。)
他にも今の教育について考えていることはあるけど、時間がないので今日はここまで。
問題は、まともに「ゆとり教育」に向き合える時間がほとんどの親になかったことだ。
子供の勉強につきあう時間があるのは私にとって、大きな意味があった気がする。