思い出、色々。

なんと!「あむえー」は「なべ」まで扱っておったのか!!おそるべし、「あむえー」。(ちがう)
漠然と、食べるものとか洗剤とか、「おーがにっく」関係のものだけだと思ってたなあ。
だから私の中で「おーがにっく」と聞くと、とたんにエラー音が鳴り始める。
昔、「奥様」な知り合いから弟さんが「だまされたもの」とかで「あむえー」のトマト(パスタ?)ソースの瓶詰めをいただいたことがあって、
ただでもらえるものは何でもおいしい私は当然おいしくいただいて、その知り合いの方が言うのには
「あむえー」では何でも必ず「箱」買いしないといけない、一度はまるとなかなか抜け出せない、
知り合いの弟さんは職場の人に勧められて、断り切れなくて、一人暮らしの狭い部屋いっぱいに
「あむえー」の箱があった、とのことで、かなり危ないところまで入ってたのをなんとか引き戻した、で、
「あむえー」の言葉を聞いたら逃げなさい、と教わった。(ちなみに弟さんは学校の先生だった)
ある時期「あむえー」は非常に活発に活動していたようで、幼なじみも久々に学生時代の後輩から連絡があって、
遊びに来させたら「あむえー」の人もついてきて、朝から延々夕方まで、ずっと話を二人に聞かされたそうだ。
「何か買って帰ってくれるんだったら、買ってもいいかも、と思った」と、あの私と同じで「けち」な幼なじみが、
よくもそこまで、と半分感心(?)した。わたしにはほとんど接触はなかったんだけど、その頃、実家に帰省したとき
「あむえー」の箱があって、腰が抜けた。両親を問い詰めるとやはり知り合いの子供が「はまった」とかで、
「かわいそう」だから買った、とこの手の商売でもっとも汚い、と思うのは人の「善意」につけ込むところだ。
それ以上は買うこと許さず、と、兄弟共々がんがん言ったので、その後、箱はない。
(隠したのかも、と思ったが、前に片付けたとき、同じ箱がひとつ出てきただけだった)
「なべ」と言えば結婚する頃、母親が職場の人に紹介されたとかで「30万円のなべのセット」をどうか、と聞いてきたことがあって
「そのなべを使うのは私です」と答えると妙に納得されてやめになった。
自分が30万円もするなべを使えるレベルの料理の腕前じゃないのをよく知ってたんで、はからずも事なきを得た、のかな?
でも「なべ」に30万ってミシュランのシェフじゃないんだし、って思うよな、
材料をその中に入れると何もしないで食べたい料理が出来る、っていうんなら考えるけど。(そういうおとぎ話があったような)
同じ頃、さる奥様会では「タッ○ーウエア」がさかんで、もう「○ッパーウエア愛の伝道者」みたいな方が、
そのすばらしさを昼食会で説いてくれて、その辺のホームセンターで1980円で売ってそうな
(ディスカウントストアだったら980円くらい?)衣装ケースに10倍の値段がついてて(19800円!!!)、
でもそれは「100年もつ」、「防虫剤も湿気取りも何もいらない」、本当に「いいもの」だし特別に「7がけ」で買える、
特に子供がいる若い方におすすめ、と当時上の子を産んだばかりで20代半ばの私や同世代の他の若奥様方に
あれこれ言われて、でも「破壊の神様」で、今以上に「空気読めない」私はぬけぬけと
「100年もつって誰が試したんですか?」と聞いて、その場が凍りついた。
だって「タッパー○エア」って100年以上も前からある会社じゃないでしょ、落としたらすぐ割れそうなプラスチック製だったし。
言ってすぐ、これはいかんな、とは思ったが、だって、そんなもの買いたくなかったんだもーん!
なんで、そんな高い「もの入れ」買わんといかんのじゃ、って「普通」に思うじゃん。
子供を背負ってさっさとその場からかえってきて、あとになってそこにいた他の若奥様方にものすごく感謝された。
みんな買いたくなかったんだけど、しがらみがあるし買わざるを得ないかと腹をくくっていたそう、
それから、その「愛のタッパーウ○ア伝道者」の方もそんなに悪い人ではなかったので、その後私にあたるでもなく
もう「会」でそういう「勧誘」はしなくなった。あまりにもいい人であるのでいいものを少しでもみんなに、の人だった。
この手の販売でいやらしいと思うのは「善意」の人につけ込むことだ、
「いいことを自分はしている」の意識がいろんなものを見えなくする、
「しがらみ」で「断れない」と思う人を誰か遠くの人が利用する、その後、憎しみを背負うのは「いいこと」をしたはず、の人だ。
人の優しさにつけいるようなやり方は、私はやはり生理的に受け付けない。まあ、根っからの「悪人」だからでしょうが。
お気に入りの方に、依存性の高い恋愛や、個人の人間関係を利用する「商売」はどこか似たところがあるのかもと指摘されて
非常に納得した。腑に落ちるようなことをブクマコメントなどでも知った。
ネットの言葉だけでどれほど大きな恩恵を私は受けていることか、今回、特にそう思った。
これ以上のものを私はネットに求めることはない。
昨日の知り合いへの年賀状は、出したものが家に帰ってくるようになるまで、ずっと出し続けることに決めた。