ぼろぼろ。

青春の思い出の「酸っぱさ」って、ほとんどゲロっぽいな、と昨日思った。
「言わなきゃよかった」と思うことは多々あれど、私が一番言わなければよかったことを思い出した。ネットはすごい。
本当のことって、本当は一番言っちゃいかんことじゃないか、とよく思う。
私の知り合いの恋の相手は知り合いにとっての初めての異性であるのを知っていたにもかかわらず
「彼女いるけどいいの?」なんて聞く男だった。「自由意志」を「確認」なんて、これはずるすぎないか?と今でも思う。
そんな未経験な相手に対して「自分が望んだこと」と納得させるような「技術」をよくも使った、と
私はその時、はっきりと言葉に出来なかったが感じた。
知り合いのその後は相手の彼女も巻き込んであれこれあって、
最終的には相手に「ストーカー」(その当時はそんな言葉はなかったが)扱いまでされて、警察沙汰になったそうだ。
その時、完全に縁を切られてしまっていたので共通の友達から聞いた話ではあるが、
相手の男はその知り合いにお金までせびったこともあるらしい。
その後で「病気の女」扱いするなんてひどすぎる、
しかし、あんまり「ひどい」を集めると結局私の判断は正しかった、とだけ言ってることになるんで馬鹿馬鹿しい。
それでもやっぱりひどい男だった。
なんで、ものすごくいい子がおかしな男に引っかかるんだろう、こういう例にはその後もよくお目にかかった。
自分が心から善良なので相手が善良ではない、と言う可能性に目がいかないんだろう。
それから男女間の愛ってやっぱりある程度「ギブアンドテイク」じゃないと「対等」ではないんじゃないか、
「体もお金も時間も何もかも」捧げて、「ただあなたがいてくれたらそれでいい」と「無償の愛」って
親の子供に対しての愛情だけとしてしか、「有効」じゃないんじゃないか、
それも子供がある一定の年齢になるまでで、それを過ぎたら、やはり子供にもその「愛」は「重荷」になる。
まして、男女の関係はやはり人間関係であるので「対等」である、が重要なんだと思う。
「ギブアンドテイク」は不純かもしれないがある「基準」になるような気もする。
知り合いは10年前くらいから時々便りをくれるようになって、波があるのか、すごい内容の手紙だったこともある。
年賀状は必ず出すようにして、それはきたりこなかったり、一度、夏に年賀状のお礼が来たりした。
毎年、年賀状を出そうか出すまいか迷う。知り合い本人からはここ数年、音沙汰がない、一度、お父さんの名前で返事が来た。
共通の友達から、知り合いは一時期「なべ」を売りまくろうとしていたと聞いた。(何故「なべ」?)
それで友達をかなりなくして、そのあと私に便りが来るようになった。私には「なべ」の話はなかった。
異性関係が引き金となって精神の安定を失うのは男性より女性の方が多い気がする。
社会的な何かが原因じゃないか、と思ったりする。
年末のせいか(?)、スイッチが入るといろんなことをぼろぼろ思い出す。
年賀状はやめた方がいいのかも、と少し思う。