お返事のようで、お返事ではなく、、

お返事をちゃんと書こう、と思って時間を作ると、とたん書くことがなくなる中身のない私、、(しくしく)
いつものように「20分品質」でお許しください。
現実的に、誰かの支えとしての「人手」である人間の存在とは無意味ではないか、と問われたように思うので、
その前提で、とりとめなく書かせていただきます、すいません。
えーっと、結論から言うとその通りだと思います、「何かのための誰か」とはあり得ないことで、
私が人をそれでも出来れば増やしたい、と願うのは実際的に誰かを助ける、と言うより回り回って
生まれてきた命は必ず何か意味があるんじゃないか、と考えているので、
きっかけが「この子のためにもう1人産んでおこう」であっても、かまわないんじゃないか、
それで結果がどうあっても、もう受け入れるより仕方がない、あるものはあるんだから、それ以上にもそれ以下にもならない。
とはいうものの、その「存在」(役に立とうが立つまいが)を支えるのが「家族」だけ、
というのはおかしな話で、もう「家族」にそういう機能があるかどうかそういう「機能」を備えた「家族」ばかりが存在するかどうか、
私は「ない」、と思います。
かつては「あった」のかもしれないんですが、それはその家の「母」だとか「家長」だとかがしっかりしていた、と言うのではなく
まだ「時代」がそういうものだった、人の「意識」が「個」を大切にするまでに至っていなかった、(「公」も曖昧だったかも、、)
その存在を「支える」側も「支えられる」側も、と、考えています。
(ところで大昔、盆踊りとは「ムラ」のフリーセックスの場だったそうですね、
それで出来た子供は村全体が育てた、と聞いたことがあります。本当かどうかよく調べてないのですが)
誰が持つかわからない重荷を一家族が最近は担わなければいけないように「倫理」的に押しつけられているようで
「ちゃんとしつけなかったからそうなった」とか、そういう「親」の「資質」みたいのばかりが問われていて、
でもひょっとして、もっと根本的に何か重大な、そういうものばかりじゃない「原因」が隠されてるんじゃないか、
学習障害」だとか、そういうものとかかわっているなら一個の家族だけがやっていくのは無理じゃないか、
本当にそういうものを支える社会的な何かが早く出来ればいいのに、と心から思います。
(と、なんか本題からどんどんずれていますな)
経済弱者が子供を持つ権利を有していいのかどうか、なのですが、
私はそれを否定するのは私自身も否定されているようにも思うのです。
私だって働いていないから、もし配偶者に何かあったとき、ちゃんと子供を二人育てられるかどうか、
きっと簡単に「ワーキングプア」になってしまうんじゃないか、そして必然的に子供も「ワープア」となってしまうんじゃないか、
で、その時、私は自分の子供を「産まなければ良かった」なんて絶対に思いたくないし、思わせたくもないのです。
それでもやっぱり何とかして生きている限りは生きていきたい、経済的に苦しくてもなんとかがんばって、
また子供が、身体的な機能に問題がなければ自分の子供を持ちたい、と思って、努力もして欲しいと思うのです。
でもお金がないから駄目だ、養えない人間が子供を持つべきではない、とかまたこれが新たな「公」的な倫理観ですよね、
それが定着してしまったら、もうなんの光もない、「可能性」という言葉すら意味がないものになるんじゃないか、
と私は思います。
でも現実には子供はお金がかかるし、精神的な意味でも両親だけで育てるのは大変です、
人を「育てる」ってやはり一人や二人の人間だけでやることじゃないです、人間社会はたくさんの人とかかわって出来ていますし。
また、すごくいい人だけど親として、自分の子供を「育てるのが下手」って人もいます。
人間の、「出来」「不出来」と子供を「育てる」って全然違うと思います、これも多分「個々」の事情によって違うんだと思いますが。
「留保なき生の肯定」というタグは「トマトは赤い」のタグと同じでしょうが、
トマト自身は「私はまだまだ青い」(若作りトマト?)と思ってるかもしれませんよね、
それに「赤いんだよ、おまえは」と言われたらトマトは気を悪くする。(わはは)
突き詰めて考えたら、私は「私」、をいきなり否定されたくないから「留保なき生の肯定」をするんでしょうが、
本当に「留保」が自分自身にないかって言うとそうでもない。
私は上野千鶴子さんが「ぴんぴんころり」運動の欺瞞に怒っていたのに完全同意するんですが
自分は心の底から「ぴんぴんころり」と死にたい、と思うんですね、自分と同じ苦労を子供にさせたくない。
すみません、まとまりません。理想は理想で、やはり私も大切にしたいです、
理想の光がないとくらい現実をベースにした玉虫色の意見がきれいに見えない気がします。そういう感じです。
障害のある子供にお金や家を残す、も一つの意見ですが、(そして大切なことでもありますが)
1人取り残されては、そのお金を簡単に奪われてしまうかもしれない、もちろんちゃんとした管理人をつければいいんですが
それはやはり「人手」ですよね、両方大切なんだと思います。
「家族」という緩やかな集まりを考える時期に来ているのでは、と思うことがあります。