らんす君のブクマを読んだよ。

あーやれやれ、もうらんす君は私を忘れてくれたのかと思っていたら
ひょんなところで私の名前を出してたんでびっくりする。(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/umeten/20071127/p1
あれだけ自分のコメント欄で罵倒を繰り広げて、それでも気が収まりませんかね?
私は「怖くない」という発想をする人をもう攻撃はしませんよ、それは弱者攻撃になるから。
「怖くない」と書かれて私は自分が「オオカミ」になった気がしたなあ。(「オオカミなんて怖くない!」)
「私は何々な人だからー」ってのはよくある言い方で、たいていの場合反対である、と
私はこういう人は恐ろしく皮肉な人間じゃないか、って思う。
「見られたい自分」が「ありたい」あるいは「あるべき」自分の姿より優先されて
本当に「スポーツマンなのか」どうか、の点ではどうでもいいんだよね、面白い人間っぽい。
それより「じつはなんとかなくせに」と心でつっこみいれる人の方がかわいそうになる、
つまり「なんとかな相手を俺は知ってるんだぜ、でも面と向かっては言えない、、」と、
らんす君が「茶づけを思い出した」と書くのと同じ。
私のことを思い出した、と書いて、私がそのエントリに書かれたような人間だと他人に「思わせたい」、
その他人を何かに「思わせたい」、自分の心情にまともに向き合ったことがあるのかな?
私がどんな人間であったとしても、らんす君にとってどうでもいいことなんじゃないのかな、
なんで私がそんなに気になるのかな、「専業主婦」だから?それってきみの憧れの職業?
私が嘘を書くかどうか、たとえば、らんす君は私のブクマのついた記事しか読まないそうなんで、
私が「削除したかもしれない」かどうか、数少ないブクマ記事をたどっていけば、「事実」なんてすぐわかる。
でも「したかもしれない」の「ブンガク」的「表現方法」を私は尊重する、
「ブンガク」は必ずしも「事実」を書くわけではないものね。
らんす君は「事実」を書く能力のない人間だけど、「事実」であるかのように「ほのめかす」ことは出来るようだし、
実際「事実」よりは「事実」っぽく他人に「見られる」ことの方に「書く」重点を置いているようだから、
「論説文」風の日記をつけるよりはもっと「私小説」風に、ご自分の底意地の悪いどちらかというと女性的な感性を
純化させていった方がいいんじゃないのかな、その方がいいものが書けると思うよ。
変なところで私の名前を出すことで、自分を損ねてるってことがらんす君にはわからない、
そこがらんす君の限界、それを書くことで自分が「聡明」に見えるとでも思っているのなら、違うと思うなあ。
むしろ、私が気になって仕方がない、その「ストーカー」ぶりが強調されるかもね。
それがねらいだったら、それはそれでなかなかに結構だと思うけど。
私は「見られる」自分よりは「ありたい」自分の方を目指したいね、それが難しいから日記であがくけど。
「らんす」君のことは、このあいだ「対話」したことでほぼ私は了解してるんで、この先何を書いてくれてもかまわないし、
それは違う、と思えばエントリを書く「かもしれない」(おお、らんす君的表現!)けど、
別にもう怒ってるワケじゃないんで、あんまり気にしないように。
「ほら、私って「不親切」な人間だから、こんなことを書くんだよね」って、さあ、私は「親切」?「不親切」?どっち?(わはは)
らんす君のブクマコメントに追加があるのを確認したけどせっかく書いたんで、送信。
最後に、うめてんさん、ごめん。