追記。

どこで書かれたかはご本人の了承がはっきり得られていないように思うので伏せておくが
「あれ?でも娘さんへのメールは「死ね」だったんじゃ?」と、書かれているので嫌がらせメールの内容を出来るだけ正確に残しておこう。
それは「死ね、死ね」の間に「w」を挟み、「バカ」「ぶす」「みんながおまえを嫌っている」「自分で死ね」
「いらない人間」「ウザい」「臭い」、なんと「偽善者」も「死ねw」を100回ほど繰り返す合間に書かれていた。
そして最後が「バーカwwww」だ。
私はAntiSeptic君が私を「偽善者」と書いた時点でとてもほほえましく思っている。これはバカな中学生レベルの嫌がらせでしかない。
その嫌がらせメールを送りつけてきた子供が「偽善者」の言葉の意味をはっきり知っていたとは私は思わない。
何となく悪い言葉だと、それが人を傷つける言葉だと多分「ネット」で「感じ取った」だけなのだ、
「偽善者」は、娘の心も傷つけてはいない、「偽善者」が心に強く響くほど、中学生は成熟していない。
AntiSeptic君は人がいやがることがわかっても繰り返す人間だと確認できたので、
やはり衝撃を受けたときにそのことを書かなくてよかったと思っている。
彼は大喜びで繰り返し書いて、私をあざけるのをやめずに私のさらなる激高を誘っただろう。
もう私は最初の「バーカwwww」からは立ち直れている。彼は自分のおそれていることを他人にするのだとわかってしまった。
AntiSeptic君が「罵倒表現」を多用するのは文章が下手なせいだけではなく、自分の「偽善者」ぶりを隠すためなのだろう。
「罵倒」を行ってじぶんの「偽善」を隠す人間は「罵倒」を行っている人間が「実はいい人」なんてことは「ありえない」の「常識」を知らない。
私自身も罵倒表現を使うが私は「実はいい人」でもなんでもない、普通のバカな人間だ、
私が教育や子供のことを日記に書くのは単に身をもって知った「叫び」でしかない。
そのことで彼が思いこんでいるように「己が自尊心を満たしたいだけの偽善者」であるからではない。
彼がそう考えるのは自分自身がそれらのことを書くときに「己の自尊心を満たしたいためだけの偽善者」であるに過ぎない。
メールの内容の指摘されたを方も、
「自分の書いたことが馬鹿だと言われて子供のいじめを持ち出した人だから、何でも子供につなげるんだと思いました。」
とも書かれていて、ここで子供を持っている人間と持たない人間との齟齬が生じるのだと気がついた。
私の心と生活は9割方子供のことで占められている。何があっても私は子供のことと結びつけてしか考えることが出来ない。
秋葉原事件の被害者の父親が「もっと遊んでやればよかったと後悔しています」と言うのを聞けば
私は被害者が自分の子供だったことを考える以外出来なくなる、なんにでも子供のことにつなげる、と感じられればその通りだろう。
一度母親になれば、情けない話だがそれ以外のことはなくしてしまいそうになる。
それをわかって欲しい、とは言わない。そういう母親にならなければいいだけのことだ、
その方は私のことを「なりたくない女」とも思われているので、私はならないで欲しい、と心から思っている。
私は子供のことを書くことで自己顕示欲を満たすと考える人がいるのだと今回初めて知った。非常に変わった考えだと思う。
ただ、私はどう考えられても私の「生活」を日記に書く。
私は書くことで自分の心を整理して、母親以外の部分をなんとか持ち続けようとしている。
ともすれば100%子供のことだけで成り立ってしまいそうな自分を戒めているのだ、そのことをどう受け取られても私は書く。
それを見苦しいと笑ってもかまわない、ただそれに私は深く傷つくこともここに記しておく。
(追記)
トラックバック先から来られた方へ、ご参考にこちら(http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20080624)もどうぞ。
トラックバックもコメントも拒否している人間がいつまでもよくやるなあ。