ブクマ御礼。

結局、元エントリの人は完全に消えてしまった。いったん記事を消したのに、復帰されたり、
またそのことについて真摯に悩まれたりするのを読んだ限り、
「傷ついた!」と宣言する人たちに日記を消すことで「しっぺ返し」をするつもりもなく、
と言って、復帰させたらさせたで、やはりまきおこる批判にとまどっているようで気の毒だった。
でもやめられたことはご本人の意志、「耐性のなさ」ではなく、何をどのように判断したかはっきりしている。
「騒ぎはごめんだ」と言うことだろう。それから、ネットで発言するよりももっと大切なことがある、と言うこと。
それがネットでは理解できない人が多いようだけど。
昨日のブクマについて、追記が余計だ、ほのめかしを徹底させたら、とは、
はじめからほのめかすつもりなんか全然ないんですけど?徹底抗戦の構えですよ、
追記が余計だなんて、その「他人」添削機能、壊れてるんじゃない?
それから私は「かわいそうと言われたい人」を見下してます、得られた「幸福感」「優越感」って誰のもの?
「かわいそうと言われたい人」のもの?そちらのブコメの方が読み取れなくて、なんだかな、ですが。
被虐待者「全体」に私は嫌みを言うつもりはない、被虐待者全員が他人を理不尽に攻撃して
最終的に「私はかわいそうなんだ!」と言うとは思っていない。
匿名のネットであっても「かわいそうな私」を晒すことが出来ないほど深く傷ついている人の方がきっと多いだろう、
思い出すのが怖い、言葉にしたらもっとつらい、そんな声のない人の代弁者になっているのか?ふなむしは。
そうじゃない、ただ自分のことだけ、都合のいいときだけ、「被虐者全体を攻撃してる!」って
私はあなたと、あなたの周辺の代わり映えのしない同調圧力者を攻撃しただけ、
「子供のことを書く奴はおかしい」とせせら笑うことで、さも自分たちが特権者であるかのように振る舞う、
最終的には自分は「かわいそう」で防御できると思いこんでる。
残念ながら、私は「かわいそう」と思ってないんで防御にならない。
私の、「かわいそう、それがどうした?」は、あなたたちの鏡の中の姿、
「こどもができた?だから?すきにすれば?かっこわらい」と同じこと、
子供を攻撃することをいとわない、それをまるで「かっこいいこと」みたいに思ってる、
「弱者攻撃」を「公共の福祉」の名においての「正義」だと考えるのと同じ。
どこまでいってもはてがない、でも私は子供が盾になるとは思っていない。
既婚者や子持ちを攻撃する言葉はいつも決まってる、
「子供は国の宝だとか言って、、」なんて、そんなこと考えてる子持ちなんて少数派だろう、
「国の宝」と言われるほど国から子供を大事にされた覚えはない。
むしろ、いつも邪魔者、のけ者扱いだ、「今」、役に立たない存在でしかない、と。
「引っ込め、子供、うざい、年寄り」、それが「国」の方針、
年金生活者を攻撃するのは「役に立たないから死んでくれ」
子供は安上がりに「個人」の責任の範囲内で育てろ、生かしてもらえるだけでもありがたいと思え、それだけ。
その尻馬に乗ってるのが子供を攻撃する連中、最終兵器保持者、「子供がいないからかわいそうなんだ!」
今の世の中を支える世代は、生まれたときから大人だったのか?そして年はとらないのか?
支えられてきた子供時代がまるでなかったかのように、気に入らない子供の存在を攻撃する、
「子供のことを自慢されてる!」って。それ、「妄想」だから。
そんな「妄想」につきあうつもりはない、最終兵器、「かわいそう」は私にはきかない、それだけのこと。
「腹黒い」?その程度?「気持ち悪い」?全然、言いたいことは面と向かって言えますよ、いつでも。
「見下されるような人生歩んでない」なんて「わざわざ」書くのは、
子供が出来たことを日記に書く人間の「気持ち悪さ」と変わらないんじゃない?
私も見下されるような人生歩んでいませんよ、たいていの人はそうだ。
そうそう、確か「メカ」柳沢の「産む機械」発言の時、「寛容の精神」を説いた人は
たいそう「寛容」の精神に満ちあふれたブクマ活動でしたわね。「寛容」の意味がよくわかりました。
腹が立ってることがありすぎてまとめられんので、この辺でおしまい。