朝日新聞雑記。

数日前の朝日新聞に、

聞いたこともない大学の先生で聞いたこともない映画の監督が書いた

ショーン・コネリーの追悼記事があって、内容がほめてるんだかけなしてるんだか、

英国本土ではスコットランドなまりの抜けない労働者階級出身だったというだけで

世界的スターがこんなよくわかんない映画監督に上から目線で語られるって

ショーン・コネリーも気の毒だな、と思ったばかりだったが

先ほど見かけた記事では

日本の上級国民である池袋・加害者家族の「苦労」なるものが取り上げられて、

上級国民が加害者になったから朝日新聞でも「かわいそう!」となるんでしょう。

その辺の下層民が加害者家族になったとして

「かわいそう!」と朝日新聞のネタにしてもらえるかね?

そのあたりの意識が全くないメディアはすでにそれに携わる側が上級であると、

ため息が出る。何気にあまりに上から目線過ぎて、腹も立たなくなったわ。

池袋の事件ではとにかくどんな力技を使ってでも、加害者家族は守られるらしい、

というのがよくわかって、本当に生まれ変わるなら上級国民よね、、などと、

なんだかんだで池袋暴走事件は「上級国民」という言葉を

完全に定着させたとして残るんじゃないか、

裁判より前に慰霊碑がたつって、それ、被害者の方々、望んだかね?

どれほど隠そうとしたところで、かの家族に優遇措置が取られている事実を

言葉で隠そうとする、しかも大手のメディアまで出てきて、と、

なんだかなあ、加害者家族がそれまで恵まれてきただけに

立場のつらさはわからなくもないが、

もっともっとつらい、妻子をなくした夫や娘と孫をなくした両親の立場を

思いやることはできないものか、

「私だってかわいそうなんだ!」は

いつだったか「私だって寝てないんだ!」と逆切れした経営者を思わせて

立場は上級でも心は下層、みたいな人が世の中、高確率で居るよな、

朝日新聞関係者もそういう人、多そうだよな、と思ったのでした。

私は仮に池袋事件の家族を現実世界で知っていたとしても、

彼らに石を投げることは積極性がないのでしないだろうが、

「やっぱりね」ともし思うとしたら、

平時のその家族の在り方に問題があった時だけだろう。

他者を意識せずに見下してきた人間が初めて見下される側になって

衝撃を受けている、そんな感触を私はこの一連の動きに見ている。

日頃の行いは大事よね、、

と言って下層出身だと成功しても死んだ後の追悼文が微妙に上から目線になる、

ショーン・コネリーなしにジェームズ・ボンドのあの世界的大成功は

なかっただろうに、それでも「娯楽作品」は見下されるのね、朝日新聞からも、

と思ったのでした。切ない。おわり。