楽しくよそ様の日記を読む。

集団で日記をつけているところを楽しく読んでいる。
このあいだの「働かなくてもいい、と言われてみたい」のところなのだけれど、
まだ全部の方の主張に目を通してないんでとりあえずちらっと思ったことなど。
「私がおばさんになぁっても(愛してくれる?)」と歌ったのは確か江口の嫁ですが、江口のような面倒くさそうな親父と結婚しない
たいていの平和な女性は「早くおばさんになりたーい!」と「よーかいにーんげん」のような叫びをあげてるわけで、
先日、私の好きな日記でも「おばさんになってしあわせ」と、私も完全同意のご意見を出されておりました。
否応なく「見られる」性であることを卒業したい、と一般女性達は切実に思っていらっしゃって、
まだこうした存在を脱していないうら若き女性にどのように「フェミニズム」はかかわっていくべきか、
真面目に考えてくれるフェミニストの方が私は大好きです。
で、一般女性に対してフェミニストの方々のパフォーマンスがあまりにも痛い、とか
高卒女性の男性の好みに対してこれにフェミニスト大学人が何を言うべきかとか、
そういうことを考えること自体、多分、もう一般人の感覚からはかけ離れていくわけで、
パフォーマンスがそんなに「スタイリッシュ」であるべきなんでしょうかね、と私は思っちゃうのです。
ガテン系の男が好き、なんてのは個人の好みの領域で、その点に関してはトラックバックを送られた方が
正しく指摘されていて、これに私も同意です。それで、つまりこういう方にどのような言葉で語りかけるか、ですが、
少なくともあまり「かこいい」パフォーマンス、で喜ぶのはそれこそ少数派である知性派、
うら若き大学人のエントリの書き手の方々ぐらいで、思えば小泉元首相のパフォーマンスが受けた理由とは
独特の泥臭さ、「知性派」からは毛嫌いされるくだらなさに多数の一般人は大喝采を送ったわけで
このことがあまりおわかりになられていないのが、やはり知性派の悲しいところなんだよなあ、と思うのです。
「知性派からは馬鹿にされる」って要素が大事なんです、それが語りかけるための「パフォーマンス」であるべきなんです。
もちろんオールドなフェミニストの方々のパフォーマンスは痛いです、あれは、ほとんど「宗教儀式」です、
いやもうその純粋さに私なんか後光が射してきてる気がします、なんかみてはいけないものをみたんじゃないか、なんて、
だからその「パフォーマンス」は「内向き」ですね、隠れてやっていただきたいモンです。
といって、あんまり「かこいい」パフォーマンスに走られると、高卒女性のようなリアリストにも「チョー」がつくような方々からは
絶対反発を買います。もし彼女らになにがしかの「知恵」を与えたいお気持ちがあるのなら
「かこいい」パフォーマンスはお控えください。彼女たちのためにお願いします。
フェミニストが語りかける言葉が必要なのは一体誰なのか、私はあれこれ拾い読みさせていただきましたが
実は未だにわかりません。「危機感」、は結構なんですが、
その「危機感」とは、ひ弱な思想である「フェミニズム」が死滅してしまってはたちまち「職」にあぶれる、と言う意味での
「危機感」なんでしょうか、それとも「学問」の一ジャンルとしての「危機」なんでしょうか?
読んでて何ともお寒いものを感じるんですなあ、誰のための、なんのための「思想」?って。
なんだか、オールドなフェミニストの方々に冷ややかな視線を注ぐ、
完全なる部外者の目から見れば結局空しいパフォーマンスに走る方々と同じ箱に入る若き「フェミニスト」達は
自分たちのためだけに「フェミニズム」を純化させているような、
少なくともガテン系が好きな女子とは意外にもお年寄りを大事にする程度に浪花節であったりするんで、
あんまり先輩フェミ二ストを糾弾していると「かわいそうなおばちゃんをいじめてるみたい」と
より「かこいい」フェミニズムに反発を覚えるんですね。これ、忘れないでいただきたいです。
「救うべきターゲット」をもう少し絞った方がいいと思います。
たくましい高卒女性から繊細な中流高学歴女性まで全部「女」にひっくるめて考えるのが間違ってる気がします。
さて、久々にフェミニズムを全く必要としない恐るべき奥様会よりお呼び出しを受けております。
続きは覚えていたら帰って書きます。