ネット雑記。

私はネットで日記をつけているだけだと未だに思う人間なのでどうもこの「はてな」と言うところの
変化(?)の早さにはついて行けない。
ついこの間やっと「増田」の意味がわかったばかりだし、最近「ついったー」とか言うモンもあるようだ、とおぼろげに知った。
ほんでなんで私の「フェイバリット」なんてのが作った覚えもないのに存在するのか、
はて、ブクマやスターをつけると自動的に出来るのか、あんまり興味がないんで調べんのだけど
スターにしろ、ついったーにしろ、何とも「はてな」と言うところはネット上のゲーセンかコンビニだな、と
次々刺激のあるものを入れていく、って、それで遊んでる人はごく一部の限られた人のような、
そんな目新しいモンにすぐ飛びつくのってどうよ、と思ったり。いいんだけどね。
他のところもこんなに次々「サービス」と称するものを提供してるのか不思議なんだが。
不思議と言えば、ブクマに(数)があって、これはプライベートモードのブクマ数だと知った。
ほぉほぉ、なるほど、プライベートのアンテナとかがあるんだから今頃気がつくなよな、と
私のように自分の気に入らないブコメには必ずかみつきます、みたいな人間に対しては無難だわな、
ついでに、このあいだ書いたものに私が「家制度」なんて言葉を書くとは思わなかった、とあって、
この言葉にさらに私は驚いた、「家制度」ってそんなに不自然な言葉かね、割と流通している言葉だと思うんだけど。
私がはてなで不思議なのは、知ってる人はとっくに知っているだろう、「新書」風の「まめ知識」みたいなものが
ブクマ数を稼ぐことでこれって、基礎教養にものすごくかけてる人がネットに多いことなのか、と考え込んでる。
「アルファ」を目指している風の人の記事にこの手が多くて、それほど優れた洞察とは思えない意見で
風味付けしているだけで、そんなに面白いか?と首をかしげる
知識や教養は他人に見せびらかして確認をとらないといけないのがネット上の「お約束」なのか、
それとも特に「はてな」のお約束なのか、知識の「量」だけを求めて新書をがつがつ読みあさる風の人の文章の
言葉の使い方がこれは元ネタの二次か三次を読んで、少々誤解が入って解釈しているのが見苦しくて、
これに気がつかない人がいるもんだな、とうんざりする。
まあ、「家制度」と他人を驚かす言葉を使う私も人のことは言えないか。
日記を公開することでの私の「基準」は読みやすいこと、これだけを心がけていて、
でも20分で書く日記にあまり高品質を望まれてもな、20分をいいわけにしてる!と言われたらその通りで、
だって20分以上かけてもたいしたことが書ける訳じゃないからな、たいしたこと書いても、意味ないし。
と、「家制度」って私が使っちゃ驚かれる、特殊な言葉だったか?とすごく驚いたのでした。
私はその人の意識が生で感じ取れる叫びのような「日記」が好きだ。そこに他人の「日記」を読む楽しみがある。(と思う)
日記を書くだけではそんなに退屈か?
私は今でも気に入った人のところを読んだり、思ったことを書き殴るだけで十分楽しめるんだけど。